あれから14年

震災から今日で14年が経ちました。
あの時に決めたことを実行し、今私はここに居ます。

ニホンコンです。

ホントにそれでいいの?

当時通う予定だった東京の小学校

震災は、私がアタリマエだと思っていたものをひっくり返す、というか頭からざぶーんと
水を掛けられたような経験でした。

東京で暮らしていた我が家、4人家族で小さいアパートに暮らしていました。
ずっと東京で暮らしたいと思っていて、当時古いマンションでも買って、子育てを続けよう
かなと思っていた。

そんな矢先に、震災。

東京もしっかり揺れました。当時4歳と0歳だった娘を守りながら、オットさんの帰宅を
待っていた気がします(当時自転車で30分の距離に勤めていたオットさん、早々に
帰宅して早々に夕飯を食べた記憶があります)

アタリマエがアタリマエじゃなくなった日々の中、不安な日々の中、
「ホントにそれでいいの?」という本音と向き合っていた気がします。

「やってみたいことを、どんどんやっていこうかな」

いつしかそんな風に思うようになりました。

小児科の待合室から見る眺め

いつかやってみたい、は

えいやっとやらない限りいつまでも来ない。

「いつ終わるか分からない人生、最後の瞬間まで笑っていられるところに」

と、いつか住んでみたかった「海のほう」に引っ越してきました。

引っ越しを決めた当時は津波の記憶がまだ鮮明な中、海側の家を売って山側に引っ越す人も
居たのも事実。そんな中、海から2キロの場所に小さな中古の家を買いました。

実家の母からは狂気の沙汰と思われていたようでしたが、最大限の知恵を絞り、
500年くらい前まで遡って過去の地震でも津波が来ていない場所を選んでます。

とはいえ、想定外なんていくらでもあるので、そんなものは神のみぞ知るのだ。

あの時、ぐいっとハンドルを全く別方向に切った勇気は、今でも天晴れと思っている。

あの時描いた未来に

自分は今、いますか?

震災後、3人目が生まれました

引っ越しして間もなく3人目が生まれ、東京の小さなアパートで4人暮らしだった我が家は
潮風香る家で、5人で暮らすという随分と大きな家族になりました。

友達ゼロで越してきて、しばらくは超絶寂しく、
前の住処へ帰りたいと思うことも1度や2度ではなかったのですが、住めばミヤコ蝶々。

人生は、面白く転がっていく石のごとく、コロコロ転がり続ければいいんです。

ホントにそれでいいの?はずっと続く

ことあるごとに、よく自分に問うてます。

そうしないと、なんだかユラユラと流されていきそうで。

震災から14年、もう一度自分の立っている場所、足元を見ながら、あの時真剣に向き合った
この言葉を、改めて投げかけてみたいと思います。

ぐじゃぐじゃな家は今も変わらず

14年前のあの日、あの時どんなことを考えましたか?そして、どんな決断をしましたか。

いつか聞かせてくださいな。

3月11日 ニホンコン


ニホンコン

(毎週火曜日更新)
北京と香港に住んでました。今は湘南に住みながら中国語や異文化の先生をしています。ちなみに3人娘のおかあさん。

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