なにかをはじめるきっかけは。

久しぶりによく晴れた水曜日の朝の出社タイム。
代々木上原駅の近くで「花さ〜ん!」と手ふる人が一人。

SAKRA.JPでカラッと楽しい小さい旅のコラムを書きたいぜ、と思って
朝から電車に揺られたその週の月曜日は曇天で。

江ノ島まで行ってはみたけど、強い太陽に照らされたキラッキラの海をSDカードにおさめることはできず。
曇天の江ノ島、今週の気になるものは別のことを考えないと。どうしようかな〜という時にやってきてくれた救世主。明るい声の主。

ご近所さんなので、よく道端で会う啓子さんは、ほぼ日の人事の長であり、去年までこどもたちが同じ小学校に行っていたママさん友達でもあります。

お互いの出社タイムに、バタバタと道ですれ違う。近況を話して「じゃ、今日も頑張ってね〜」と手を振って別れるのが毎度のパターンなのですが。

最近の啓子さんは、どうも「愛の不時着」にどハマりしているらしい。うん、社長が見ていらしたのは知っているよ。

「あのむろで貝を焼くシーンとか見てるとさ、すごくお腹が減るよね」

「ヒョンビンはもちろんかっこいいし、ユン・セリ役のソン・イェジンのかわいさも抜群なんだけど、やっぱりお腹がすくドラマだよね。じゃがいもととうもろこしとかさ、電車の中で食べるゆで卵も。」

「素朴なラインナップ!でも、美味しそうだったよねぇ。わたしだけじゃなくて社内がさ、空前の不時着ブームで。これから出社して女子4人で不時着トークをする予定」

5年前までつとめていた会社は、相も変わらず誰かが何かにハマると
「何それ、面白そう!私もやるー、俺もみるー!」と人が集まってくる。
とにかくノリがいいのです。

今年、梅雨長いってよ(「桐島、部活やめるってよ」の発音でどうぞ)で、月曜日の海は曇天。でしたが、せっかく足を運んだので今週は江ノ島の写真をお届けします。

誰かがおいしいと言ったものや面白いと言ったことをまず否定しない。少しでも良さそうだと思ったら、まず見てみる。食べてみる。乗っかってみる。(今でもこの社風が好きです。)
ハマらなければ静かにそのことを語らなくなるし、ハマる人はそのまま沼のように何かを始めたりする。

別れ際、啓子さんが不意に口にしたのは
「ついにわたしもハングル勉強しちゃうかもしれない。」という一言。

それはすんごくいいと思う。あれ、今週の気になるもののテーマが生まれちゃったかも。
あ、そろそろ会社行かないといけない時間じゃない?またねー!と手をふって啓子さんと別れる。会社に向かって歩きながら、「何かはじめるきっかけは…」とiphoneにメモをした。

たしか、子どもがまだ2歳の時だからもう10年近く前。啓子さん・啓子さんの次男くん、ほぼ日のシステムを作ったベイちゃん家族。そして私の息子と総勢7名でソウルに旅をすることになりました。

旅の計画を立てたのは4月ごろ。啓子さんの息子さんは当時3歳。子どもを産んでから海外行ってないよね〜。近い国なら子連れでもいけるんじゃない?じゃぁ、韓国でご飯!というまぁ、そんなみんなのノリのよさで8月のソウル行きのチケットを取りました。

ほぼ日の前職で、よく訪れていたソウル。当時はロケという形がほとんどだったので、コーディネーターさんはついてくれるし、旅程もしっかり決まっている。言葉が分からなくても一切、困ることはない。街のお母さんのノリは大阪。なんばで出会うお母さんと、髪型も服の色形も近い。食べ物はおいしい。肌に合う街。でも当時唯一の心残りは、看板にハングルでなにが書かれているかが全く分からないことでした。

今回は、久々の海外で子連れ。4、5年ぶりのソウル。ハングル全く読めなくて大丈夫?と脳内からお達しがやってきた。
チケットの予約をした時は4月。4月だったんですよ。外国語学習者のみなさん、何人かはもうお気づきですね。春はNHKの外国語講座が一斉に始まる季節なんです。

で、買っちゃいました。ハングル講座の教科書と、「1週間で読める書けるハングル」。そこから数ヶ月独学でハングルを学びました。文字は書ける、読むことはできるようにはなっている(と思っていた)。

無事ソウルに到着して、食事や買い物を楽しんで。
ろくに言葉が通じないのに、南山タワー近くのチムジルバンにタクシーで向かってみたりもした。その時の運転手さんは日本語がペラペラ。「僕はね、TOKIOの長瀬さんをのせたことあるんだよ。」(今、タイムリーすぎる!)なんてプチ自慢を聞きながら無事到着。ハングルが読めても単語の意味を覚えていないから受付の看板になにが書いてあるのかを結局一切わからずに、最後はボディーランゲージ。どこの国でも身振り手振りって最強だよねなんてちょっとくるしまぎれに言いながら、お風呂。そして屋上でサムギョプサルを堪能しました。
めちゃくちゃ蚊に刺されながら、サムギョプサルを食べ続ける。煙でほどよく燻された体。これご飯とお風呂の順番完全に逆だった、とケラケラ笑いながらホテルに戻る。長瀬くんと足の痒さも含めて、旅のいい思い出に。

最終日、飛行機は夜の出発だったので、夕方まではまだ遊べる。
「なかなか自分の買い物をできてないでしょ、行ってきてー。私が子どもたちを近くの遊園地に連れてくから。」
と啓子さんを送り出し、ベイちゃんファミリーは3人で陶器の買い物へ。

前日に調べていた遊園地に向かうべく、ホテルでタクシーを呼びました。
その日の運転手さんはTOKIOの長瀬くんをのせたことはないようだけど、日本語はまたもペラペラ。

私が話した韓国語は元気な「アンニョンハセヨ!」のみ。これが数ヶ月の独学の実力?と自らツッコミを入れながら、息子と啓子さんの次男くんと一緒にタクシーに乗り込む。「オリニテゴンウォンまで行きたいです」と日本語で運転手さんにお願いをして(そこも日本語かい〜なんですが、「〇〇に行きたいです」という高度な韓国語はまだ教科書に出てきてません)、タクシーが出発。ホテルから20分くらいの移動で遊園地には到着するはず。

「東京からですか?」ときれいな日本語で世間話をしてくれる運転手さん。「日本語お上手ですね」完全に日本語のみで話に花を咲かせている間に、おそらく20分が経過した。道路の前方に信号なし。どうやら目的地には到着しそうにないし、気づくと高速道路に乗っている。これ違う場所に向かってないかな?
まだ幼い子どもたちと3人。小さな2人の手をギュッと握る。心臓はバクバクしてくる。「すみません、これオリニテゴンウォンに向かってもらってますか?」「大丈夫大丈夫。あと20分くらいで着きますよ」流れていく街の様子は、郊外の景色に変わっている。
どうしよう。このままどこに連れていかれるんだろう。

口数は減る。脳内は高速で回転して、次にどうするかを考える。ここで降りても帰る術がない。一旦もうすぐ到着するはずの遊園地までは行ってみるのが正解か。

「着きましたよ!ここ、タクシーがなかなか来ないから帰りまで待っていましょうか?80000ウォンでいいですよ。」到着した場所は、海老名パーキングエリアサイズのだだっ広い駐車場。遊園地の門はここをまっすぐ行くとあるらしい。
タクシーが安いはずの韓国で、80000ウォン。目指していた遊園地なのかも分からない。一刻も早く遊園地の入り口に向かいたい。「すみません、帰りは大丈夫です」と小さな声で運転手さんに告げ、子どもたちといそいで入り口に向かう。かろうじて読めるハングルの文字。看板には「ソウルテゴンウォン(大公園)」と書かれていた。

入り口で、英語のわかる女性の係員さんに聞くと電車でソウルの街中には戻れるようだ。目的だった遊園地からはだいぶ離れたところに来てしまったけれど、帰りもなんとかなりそうだという情報に安堵して、子どもたちと動物園や遊園地で遊んで、また南大門に戻った。

数ヶ月勉強したつもりでも、ただハングルが読めるだけでは、実際の旅で全く役に立たない。ソウル大公園からの帰り道、くたくたで電車のすみっこに3人で立っていると、席に座っていたおじさんとおばさんが座りなさいと席を代わってくれる。「結構です、大丈夫です」と完璧な日本語で言っても通じるわけがない。でも必死の笑顔で手を左右にふる。(韓国では、小さな子どもを連れていると年配の方が席を譲ってくださることが多い。)いざとなれば身振り手振りで旅が続けられないわけではないけれど、喋れるって通じるって、こんなへなちょこな独学じゃダメなんだ。優しいおじさんとおばさんとボディーでランゲージをしながら、ふつふつと闘士が湧いてきた。

東京に戻ってからすぐ、「韓国語 学校」と検索。一番上に出てきた学校に即、申し込みをする。そこで出会った先生は厳しいけれど面白く、人間味あふれる人だった。そのおかげで今も韓国語の勉強は続いている。

タクシーの運転手さんの聞き間違いなのか、違う理由なのか。今となってはわからない。でもあの時ソウル大公園に連れていかれることがなければ、韓国語の学習をしている自分はいないかったかもしれない。語学にファイティングポーズをとるきっかけをくれたあのおじさんとの出会いは、自分の人生においては小さくない出来事だった。

ささいなきっかけといきおい。

帰国後のいきおいで学校に申し込みをしなければ、今も私の韓国語は「アンニョンハセヨ」止まりだったかもしれない。ある程度韓国語が話せるようになった今は、韓国に友人もたくさんできて、世界はぐっと広がった。

「わたしもついにハングル勉強しちゃうかもしれない。」

ドラマにハマるというきっかけはささいかもしれないけれど、その先の世界はささいじゃない。不時着沼のいきおいにまかせて、韓国語はじめて欲しいなあ。啓子さんに。

ブーメランのように帰ってきたのだけれど、わたしが韓国語を話せるようになった最初のきっかけは、啓子さんとの旅だったから。

何か新しい言語を始めたい欲が、わたしにもむずむず湧いてきた。
まずは教科書が完全積読になっているロシア語の教科書、開いてみようかな。