目がつらい。
最近、目がつらい。老眼の進行具合がひどい。年齢的に仕方がないことは重々承知なのだけれど、老眼のせいで本を読んでいる時、集中力の切れるタイミングが早く訪れるようになった。
こめかみを押してみる。少し視界が開けた気がする。背筋を伸ばしてもう一度本に向かう。数分後、また視界がぼやけてくる。鼻の頭の方を左手の親指と人差し指でぐっと押さえる。しょぼしょぼした目の状態がクリアになって、再度文字に戻る。
照明が暗いとアウト。コンタクトをして老眼鏡をつけていると、目の疲労よりも頭の疲労がずんとやってくる。
最近SpeakというAIの学習アプリで再度勉強を始めた英語。英語だと老眼てなんていうんだろう。英語を学習していた中学や高校の時には、決して調べることのなかった単語。どこかで出会っていても目にも留めなかったであろう老眼という意味の英語はlazy eyeでした。怠ける目。アメリカで老いた目は、怠けているという概念になるのか。なんだか新鮮。怠けているなら、改善の余地がありそうなもの。busyにすれば、目がよく見えるようになるのだろうか。それはきっと逆効果だ。
来年は絶対に廈門に行くと決めて、こちらもHello Chineseというアプリで復習中の中国語。老眼が中国語からきている言葉のような気がするけれどどうなのだろう。中国で老眼を意味する言葉には、花がつきました。老花眼(lǎohuāyǎn)。花が入っていると急に文学的な要素を帯びて、日本語よりもせつなさが増すのはなぜだろう。置いて朽ちていく花のような眼。
ちょっと休憩してしまっているベトナム語。ベトナムも漢字語が多いから、きっと「老」の字は単語に入るのだろうと思って検索をしてみると、ベトナム語で老眼はmắt lão。mắtは目。lãoは音の通り「老」だ。やはり老いた目。そのまま。
ヨーグルトにブルーベリーを入れて食べたり、生のブルーベリーと口に放り込んだり。老眼点という、手のひら側の小指の付け根にある横ジワの中央にあるツボを、何度も押してみたり。それも気休めにしかならないのはわかっているのだけれど、それでも良さそうなことをちょこちょこと試してみる。
「老眼」で検索をしてみた先に出てくる言葉は、進行は抑制できても老眼は治ることはありませんというなんとも潔い言葉。そうですか、治るものではないんですね。きっぱり言われると諦めもつくというものだ。老眼鏡の装用が遅くても早くても、進行は変わらず。あとはよく寝て、ストレスの少ない生活をし、パソコンやスマホを見過ぎないようにしましょうという、まぁそうだよねという生活習慣に気をつけなさいよというアドバイス。
高校生の時、両目共に1.5とすこぶる視力が良かったのに、どうしても鼈甲のメガネをかけたくなって、目が悪くなるようにと薄めで黒板を見ていた頃が悔やまれる。あの時薄めをしていなければ、もうちょっと老眼がやってくるタイミングが遅く来てくれていたのかな。あの頃にかけたかった鼈甲のメガネは、何十年の時を経て縁がだいぶ細くなり、ケントデリカットのように目がビックになる分厚いレンズのメガネになった。
もう少し気分のあがる老眼鏡を探してみようかな。それにしても目がつらい。
12月も半ばになって底冷えのする寒さになってまいりました。年末に向けて、お忙しい日々が続くと思いますが、みなさまどうぞあたたかくお過ごしくださいませ。