頑張れ18歳!
18歳、子どもなようで、大人の手前のようで、とても微妙なお年頃。
18歳の岐路とは、その先の進路だろう。
大学受験だったり、専門学校だったり、就職だったりなど、きっと色々
ありながらも、それぞれのご家庭の数だけドラマがあるんだと思う。
ってな話を、最近の全然カンケーない写真とどうぞ。
ちょっと私の話を
私の18歳の岐路たるや、ひどかったー(笑)。
これほど世の中の情勢を恨んだことはない。もはや私の希望や実力とか
それ以前の話という、笑うに笑えない事情が、そこにはあった。
時は94年、バブルが崩壊しやや不景気の風が吹き始めた頃。
のんきな田舎の高校生だった私は、それこそ普通に大学に行って、
3年生あたりで留学するという、バラ色の学生生活を描いていた。
が、ある日父から。
「いやー、四大は無理だ!パパの仕事も前ほど好況じゃないし、お姉ちゃん
音大でお金かかってるし」と。
あれ?おかしいぞ。我が家思ったより貧しいぞ!
追い打ちをかけるように
「いやー、この景気じゃ、素人目に見ても4年後に就職先なんて無いぞー、特に
私立文系の女子なんて」と。当時を色濃く反映するジェンダー発言ありまくりだが、
短大にしとけと言う父の話にも一理ある。
その前に「無い袖は振れない」んだけど。
理想と現実に悩みながらも、私が出した折衷案は「短大+1年の中国留学の3年ライフ」。
どうしても外を見たかったこともあり、中国なら既に親しんでいたこともあり、
親も首を縦に振りやすい。また海外の留学先としては当時激安だったということもあり、
無い袖の中でも勉強したいと頼み込んだ結果、これで納得してもらった。
今でもあの時の父と2人で話した時間を覚えている。そして、行きたかった四大は
本当に記念受験だけさせてもらい、短大に進学し、卒業後に北京に渡った。
ま、今振り返れば、これで良かった、いやこれしか無かったなと思っている。
そんな私が親になった現在
同じように18歳の娘と岐路について話すことがよくある。
私とはまた違うタイプの、理想と現実の狭間で苦しんでいた。
自分の描く理想像がありながら、現在地の足元を直視することで、次の一歩が
踏み出せなくなるくらい苦しくなっていた。
こういう時、母というのは不思議なもので、話を「ふんふん」と聴いているうちに、
共感どころか「同感」、何ならその思い「憑依してまっせ」「ってか本人!」
レベルで同じ気持ちになり、私まで涙がでてくる始末。オマエじゃねーよ!なのに。
泣きながら「母と子の臍の緒パワー、すごーい!」と感動。そんな場合じゃないのに。
苦しくて逃げたくなる時もあるだろうし、ふさぎ込んだり泣きたくなることもある。
でも、チャレンジした人にしか見えない景色というのも、実際あるのではなかろうか。
学力勝負のフェアな戦いは、言い換えれば残酷な勝負。そしてその過程で傷つく自尊心
という名のプライドや引き受けなければならない自分の弱さ。ざわざわと巻き起こる
感情や、流す涙も葛藤も、自分至上初の経験だろう。
でも、それをも全部ひっくるめて脇に携えて前に進む力。それこそが、筋肉となり、
今後の雨風をしのぐお守りになるのではないかと。
ここまでは、親が雨風をしのぐ安全な場所を一生懸命作ってきました。
ここからは、自分でそれをこしらえていく番です。その時に役立つのが、
「自分で経験したこと」なのではないかと。
AIで何でもできる時代でも、「愚直に頑張った泥臭さ」はその人にしかできない。
走れるだけ走ってください。
母も一緒に伴走します。頑張れ我が家の18歳。
12月10日 ニホンコン
追記:実はニホンコン愛読者でこっそり読んでることを最近教えてくれたので、
私信みたいに綴ってみました。