不器用の果てに
ニーハオ、ニホンコンです。
器用なほうではありません、むしろ、不器用。
器用な人と、そうでない人(我が家)
同じように、子どもたちも器用ではなく、ここ最近は勉強だの部活だので力不足を
感じることが多々あり、その涙と向き合っていたところ。
分かるよ、分かるんだよ。世の中にはできる人、その分野においてハイレベルな人は
ごまんといる。
何なら美人で頭もよくても一つなんか出来ちゃって・・みたいな人もいて、天は
二物どころか三も四も与えたな神様コンニャロメ!と思うような人もいる。
大人になった現在ですら、頑張っても到底追いつかない、叶わないと思う瞬間がある。
だから尚のこと、十代なんて、生きてきた年数が全く同じ十数年きりというのに、
その差を突きつけられるのは、なかなかにガツンとやられる経験だと思う。
それはもう、悔しいやら羨ましいやらを一瞬で通り越し、その先に残る感情たるや
情けなかったり、みじめに思えたり、「何してんだ私」という無力感。
肩を震わせて泣くほど、当人たちは打ちひしがれていて、正解も不正解もないけれど、
母の私から言えるのは、これだけだ。
「やるしかない」
JUST DO ITとはちと違う
JUST DO IT、ナイキもええこと言うもんだ、と思いつつも、たかだかその数文字の
アルファベットの後ろに控えている意味や解釈は、沢山あると思う。
私と家族が納得できるDO ITは、もう少し言葉が必要。
私は昭和の人間なので、根性論に走る傾向があるけれど、時代が変わろうが
AIが台頭してきても、個人のレベルを上げるのに特効薬やホップステップを
すっ飛ばしたジャンプは存在しないと思っている。
もちろん、もっといい手法とかプロセスとかはあるのかもしれないけど、
それはある程度の積み上げがある人が「いや、こうやってきたけどもっと
いい方法があるぞ」という、一周回った先に見える景色であるわけで、
最初っからこれが見つかるなんていうのも幻想に近い。
敢えていうなら、「愚直に」「恥も外聞も、何ならプライドもかなぐり捨てて」かと。
今の自分の出来なささと情けなさと、逃げたくなるようなちっぽけな自分を、決して
無かったことにせず、置いてきぼりにせず、それをも引き連れて、そこからDOすれば
いい。
積み上げてきた「できる自分」を過信せず、でも過小評価せず、たんたんとやるべき
ことを毎日やるだけ。これが我が家のJUST DO IT.
大人というか華麗なる加齢と共に、図々しさだけは蓄えつつある現在。涙こそ出ないし、
親から目線でモノ言っているけれど、実は母も不器用です。
いい年こいても「あーあ」と思ったり「何やってんだ自分」という無力感も、時折
同じように感じています。でもその度に逃げずに何かDOしています。
今は辛いかもしれないけど、今こそ成長の時なんじゃないかなと。
頑張れ不器用な母の子たち。その果てに何が見えたか、いつか聞かせてください。
11月26日 ニホンコン
追記:とはいえ特効薬ご存じの方いたら教えてください(笑)