空港の音。

『山手線の駅は現在29個ありますが、東京駅は何番目にできた駅でしょう?』
1、1番目。
2、26番目。
3、12番目。
4、一番最後。

今年は、なんだか粘り強く居座っていて、なかなか通り過ぎてくれない梅雨の合間。久しぶりによく晴れた日曜日に、漁師カレンダーの展示に遊びにきてくれた優くん。パタパタと走って何やら荷物を取りにいく。「こいけさ〜ん!」とまた走って戻ってきた優くんの手には花びらがたっぷりつまったピンクのバラ。そして、顔を描いてくれたカード。「Dr.こいけさん」と名前も書いてくれている。これからの自己紹介は、Dr.こいけでいかせてもらうよ。ありがとう。せんせい(じゃないけど、優くんの前ではせんせい)、優くんのやさしさがじんわり心にしみて泣きそうになる。

10階の屋上で、セミと青虫を探してまわったあとは、会場裏でyoutube。
タカラトミーチャンネルで配信している「新幹線変形ロボシンカリオン」の動画を一緒に見る。優くんのTシャツも、もちろんシンカリオン。優くんの大好きなコマチ。
シンカリオンは、2018年1月〜2019年6月までTBS系列で放送された全76話のアニメーション。今日は、シンカリオンの第53話。「クイズ!ブラックシンカリオンとペンギン」が、優くんの気分にぴったりだったようだ。

今まで敵だった、ブラックシンカリオンの操縦者セイリュウが地上の世界に馴染めるようにと、主人公の速杉ハヤト案内の元、東京駅にまつわるクイズをしながら、駅構内の観光をするというお話。
冒頭の答え、わかりますか?東京は山手線の中でも最後の方にできた駅。で、26番目にできた駅なんだそうです。正解は2番でした〜!

『東京駅には丸の内口と八重洲口があります。丸の内の名前の由来は城の城内。江戸城の内側が由来ですが、八重洲口の名前の由来は?』

観光をしていた子供たち5人が誰も答えられなかった問題に、『現在の八重洲近くに当時住んでいた、オランダ人の「ヤン・ヨーステン」の名前がなまって八重洲になった!』と、鉄道好きの総司令長「東スバル」が子供たちの後ろから答える。あ、総司令長の声は山ちゃん(山寺宏一さん)だ。

鉄道好きのハヤトと総司令長が、その場で意気投合をして一緒に東京駅を観光するというお話。何度もこの動画を再生しながら、今まで当たり前にしていた「移動」が自由にできなくなった、ここ数ヶ月のことをDr.こいけは考えていました。新幹線での移動もそうだし、もっと難しくなってしまった、飛行機に乗っての国をまたぐ移動のこと。

たとえ1泊2日でも、思い立ったら言語の違う国に行って、その国のおいしいものを食べる。日本と違ったにおいを吸って、街を歩くだけでパワーをもらう。そしてまた、日常に戻る。旅をすることは生活の中の当たり前の一部、だったはずだった。2月頭からの、旅ができない数ヶ月。心に蓄積している疲労がなかなか大きくなってきているぞと「シンカリオン」の東京駅クイズを見ながら改めて感じていた。

以前のように、自由な旅ができるようになるまでには、まだまだ時間が必要だということも頭ではわかってはいるのだけれど、心はなかなかついていかない状態だった。
すっかり足が遠のいていた羽田空港に、ふらっと行ってみよう。飛行機を見たら、ちょっとは気持ちも晴れるかもしれない。シンカリオンを見ながら、新幹線ではなくて、飛行機を見たくなってしまった。
時間を取ることができた日は、やっぱり雨が降ったり止んだりして、太陽は顔を見せてくれなかった。
ちょっと、ちょっとー。じめっと梅雨のように暗いじゃないか、おい、小池。Dr.こいけ!

原宿駅から山手線に乗り換えて品川にむかう。思えばここ数ヶ月、原宿駅を通ることもほとんどなかった。3月21日に利用が開始された新駅舎。ここを通るのもこの日がはじめてだった。旧駅舎のトタン屋根を新駅舎から眺める。移動をしないってことは、街の「小さくない」変化にも、気づくことができないってことでもあるんだな。

常に多言語が飛び交っていた原宿駅は人もまばらで、山手線はもちろん空いている。こんなにすいすい歩ける原宿駅、今まであったかな。

珍しくiphoneを全くいじらず。渋谷、恵比寿、目黒と一駅一駅のアナウンスをぼーっと聞きながら、電車は進んでいく。気づいたら品川駅で乗り過ごしそうになっていた。
人の波にうまく乗れないと、京急の改札までなかなかたどり着けないはずの品川駅。今日は視界に入ってくる人が少なくて、やっぱり日本語しか聞こえてこない。ガラガラとスーツケースを転がしながら歩く人の数も極端に少ない。聞こえてくる外国語といえば、駅のアナウンスのみ。
山手線から京急への乗り換えも、身軽だとこんなにあっという間なんだ。この日はあまりにもあっけなく、スムーズに羽田空港行きのエアポート特快に乗れた。

「次は羽田空港第3ターミナル、羽田空港第3ターミナル」車内にアナウンスが流れる。
扉が開いて降車したのはたった1人。いつもたくさんの人が降車する駅。見たことのない光景だ。心が小さくドキンッとした。
今日は国内線のターミナルでご飯を食べてから、国際線のターミナルに移動する。降車まであと1駅。

「次は羽田空港第1・第2ターミナル、羽田空港第1・第2ターミナルです」
さすがに国内線で移動する人たちは何人かいるようだ。小さめのスーツケースをゴロゴロ転がしながら改札にむかう人たちが、足早に移動していく。
それでもやっぱり私の知っている空港の景色からは、考えられないくらい人が少ないし、こんなに静かな場所だったこともない。

出発便のアナウンスも、人の声も。ほとんど音のない国内線のターミナル。
「ギュル、ギュル、ギュル」空腹のお腹の音が、いつもより大きく自分の耳に届く。そうだ、今日は朝から何も食べてないんだった。

Dr.こいけは空港に来ると、いつもカツカレーを食べる。
国際線に乗るときは機内食もあるのに、それでもやっぱり出発前は、カツカレーを頼みたくなる。旅に出るときのおまじないのようなもので、カツカレーを食べると幸先がいい(とわたしの頭は思い込んでいる)。今日は旅に出られるわけじゃないけれど、カツカレーを食べようかな。

滑走路を見渡せる4階のレストラン「エアポートグリル&バール」。飛行機がよく見えるこのレストランとお隣の南国酒家は、窓際の席がいつもいっぱいに埋まっているのに、今日はどちらの店もやっぱり人が少ない。席は選び放題だけれど、少し寂しい気持ちでカツカレーを頼む。

旅に出る前のワクワクした気持ちと一緒に食べていたはずのカツカレー。いつものように衣はサクサクだし、カレーもおいしいのに、なんだか違った味がする。ラッキョウをひとつスプーンにのせてガリッとかじると、口の中で台湾の匂いがした。台湾でラッキョウを食べたことなんてなかったはずなのに。でも、なんでか台湾の匂いがプンとした。

少し遠くに目をやって、これから飛び立つ飛行機が右から左へ移動していくのをただただじっと眺める。ラッキョウのおかげで旅の匂いを感じたからか、寂しい気持ちがちょっとだけ晴れてきた。Dr.こいけはカツカレーでお腹も満たされて、間近の滑走路を眺める元気も出てきた。

旅に出る前なら、パッとご飯を食べてすぐに出発ロビーに向かう。こんなにゆっくりとそこで働く人たちを眺める余裕はなかったということにも、静かな空港ではじめて気づく。

飛行機が到着する数分前。滑走路にある小さな穴から、にゅるにゅるとホースのようなものを引っ張っている整備士のひとがいること。このホースの正体は、燃料を補給するためのものであること。(滑走路の下におそらく給油管が張り巡らされていること。)操縦席の斜め左下の位置に燃料タンクがあって、その給油口にホースをさすための4段ほどの小さな階段も、整備士の人がゴロゴロと手で運んでくること。
空港ではたらく人たちの、毎日の仕事。今まで想像できていなかったこと。ガラス越しに滑走路を見ていると、飛行機が到着してから出発するまでのルーティーンがとてもよくわかる。

旅のチケットの中には、こうした皆さんの賃金も含まれている。いつでも海外に飛べると思っていたときには見えていなかったもの。当たり前が当たり前ではなくなった空港で、Dr.こいけ、はじめて気づく。
あ、今、たぶん副操縦士の人と目が合った。

そろそろ国際ターミナルのほうに移動しよう。
3階から1階までエスカレーターを降りると、見慣れない「国際線」の表示。調べてみると、3月29日から第2ターミナル内にも国際線が乗り入れるようになっていたようだ。入り口と思われる場所の照明は暗く、シャッターは閉まっている。

第2ターミナルから国際線ターミナルまでは、ターミナル間を移動できるバスがひっきりなしに走っていたはずだ。9番のバス停で時刻表を見てみる。国際線ターミナル行きのバスは、本数が格段に減っていて、あと20分待たないとやってこない。電車で一駅戻るか。もう一度出発ロビーに向かう。少し先を左折して、地下に降りる。やっぱり、本当に人が少ない。来た時には気づかなかったんだけれど、駅の名前も変わっていたんだ。元「国内線ターミナル」駅は「羽田第1・第2ターミナル駅」へ。
とても静かなホームで、電車を待ち国際線ターミナルに移動する。あれ、国際線ターミナル駅も名前が違う?3月14日の午前0時26分すぎから、駅にある看板約150個が「国際線ターミナル駅」から「羽田空港第3ターミナル駅」に変わっていたようだ。旅に出られない時間に、羽田空港の中で変化しているものが、こんなにもあったんだ。

第3ターミナル駅に到着して、左端のエレベーターで3階の出発ロビーに向かう。
チンと扉が開くと、第2ターミナル以上に静かな景色が広がっている。
いろんな言語が飛び交っていて、いつも賑やかなロビー。は、どこに?
警官や警備の人がゆっくりと見回りをしている姿が見える。乗客は、いない。
各航空会社のカウンターにもJAL以外、スタッフが全くいない。

運行の案内板を見て、また心がドキンッと音を立てる。目の前に並ぶのは「欠航」の文字。「上海・欠航、ソウル・欠航、ポートランド・欠航」。この日は午前中のシカゴ行きの飛行機だけが、出発をしたあとだったようだ。

声のしない、音のしないロビーを抜けてエスカレーターで3階に上がってみる。
展望台に行けば、海外の航空機をみることができるかな。
僅かな期待を込めて滑走路を見てみると、ただ一機、ガルーダインドネシア航空の機体だけが、ANAとJALの機体にはさまれて停泊していた。

頭で、わかったつもりになっていたこと。でも、本当のところはわかっていなかったかもしれないこと。たった今、現在の世界の状況を可視化されたようで、心がまたドキンッとする。
1組の家族連れと2組のカップルと一緒に、夏の日の鴨川縁のように等間隔の距離を保ちながら、Dr.こいけは滑走路を眺めた。

ゴーっという飛行機が飛び立つエンジン音と早口の外国語。大きな笑い声と赤ちゃんの小さな泣き声。荷物を運ぶカートの音。海外からやってくる様々な機体の色と同じくらい、鮮やかな音がしていたはずの飛行場。

ただただ感傷的になっているわけではない。ないのだけれど、移動できることって、飛行機が縮めてくれていた海外までの時間と距離って、当たり前のことではなかったんだなぁと、音の少ないこの場所で現実として、見せられる。

ちょっとだけ先の未来を想像しながら、今できることを柔軟にやっていくしかないし、できることの中で楽しみをみつけていくしかないのだけれど、旅のできない日常は思っていたよりもやっぱり心にくる。

「カシャ」、音の方を向いてみる。長い望遠レンズがついたキャノンのカメラ。60代くらいの男性が、撮影をしている。レンズの先には飛び立ったばかりのANAの機体。またたくさんのいろんな音が、この場所に戻ってきますように。Dr.こいけは、空に向かう機体に願う。今度はたくさんの音のする空港に、優くんと遊びに来れたらいいなぁ。せんせい、今はただ、願うことしかできないけれど。