#8 たべもの建築家と育つ家
みなさん、こんにちわー。ムトーです。
最近、このムトーツアーズの取材のためというのもあるけれど、いろんな場所に行き、いろんな人に会っています。
人に会うと、その人が自分にないものを沢山持ったりして、その才能や僕の知らない考え方に、夜眠れなくなるくらいの衝撃を受けることがあります。
でも、そういうのが、楽しいかもしれない。と、いい歳して、動き回っているのです。
さて、今回は以前ご紹介した旅館 山田別荘さんと同じ別府市にあるお店をご紹介しますよー。
About 別府市
別府市ホームページ → https://www.city.beppu.oita.jp
人口約11.5万人。大分県が誇る温泉観光都市。
大分空港からは車で1時間弱。もともと海外からの観光客も多いし、APU(立命館アジア太平洋大学)などの留学生が大勢暮らしているので国際色豊か。
大分名物とり天や、別府冷麺などの美味しいお店があり、大分県に初めてやって来る人から「1日で大分を満喫したい」と言われたら、「とりあえず別府に行こう」と言うと思う、僕は。
素通りできない
以前、ご紹介した旅館 山田別荘さんから徒歩2分くらい(位置的には隣らしい)。路地を歩いていると、これを覗かずに素通りできる人がいるのか、という不思議な建物に遭遇します。見たことのない世界なのに、昔からずっとある世界のように、この通りや街の中に溶け込んでいるんです。
今回、ご紹介するのは別府市の「バサラハウス」。
カフェオーナーの 宮川園(みやかわ・その)さんにお話を伺いました。
宮川さんのことは、一方的に知っていた、というか気になっている人だったので、いろいろとお話しできる機会ということで楽しみにしてお店にお邪魔しました。
バサラ
宮川園さんの肩書きは「たべもの建築家」で、このバサラハウスのカフェバサラのオーナー。
宮川さんの作る料理のイメージは鮮烈な色彩。
3種盛りのカレーをいただいたんですけど。それぞれ美味しいし、2つが混ざっても、もう3つを混ぜても、どれもきちんと美味しい。そして、知らない食感と、知らないスパイスが時々、口にやってくる。
夢中で食べてしまった。
この、いろどりの理由を聞いてみました。
「色も含めて、食べ物で思い出を作りたくて。食べた人に、この色や味、スパイスを噛んだ時のカリっていう食感とか、その香りとかでインパクトを与えたい。食べると食べ物は無くなるけど、食事の記憶は残るので。」
宮川さんは建物を作らない建築家。記憶や思い出を建築している人なのです。
アーティストや別府でお店を開きたい人が、移住する前にお試しで住んでみる場所を作りたいという宮川さんの考えに興味を持ったのが、以前ご紹介した旅館山田別荘の山田るみさん。宮川さんと山田さんたちは、旅館のスタッフルームとして使っていた建物を、その場所にすることにしました。
オープンの時点で完成している場所ではなく、お客さん、スタッフ、このバサラハウスにやってくる人たちみんなで作りあげていく「育つ家」。
「バサラ」とは宮川さんの仲間の出身地、福岡県飯塚市の方言で「超」という意味の接頭語。また、「婆娑羅大名」など、かぶく人を表して、「どんどん派手になっていく」という言葉。宮川さんの目指す「育つ家」というイメージにぴったり合ったので名付けたそうです。
コロナの影響はどうなんでしょうか。
元々、コロナの前から営業時間が短くて、短縮営業をすることもなかったし、大きな影響はなかったんです。
別府市で『別府エール飯』というプロジェクトが始まって、私は食事で別府の人たちを応援する企画なんだと思って、よっしゃ!ってなったんだけど、それは完全な勘違いで飲食店を応援するのが趣旨だったんです。自分がエールを送る側だと思ってた。
この状況を悩んで苦しむんではなくて、状況を改善し、向上することが大事だと思っているので。」
建築の勉強をしていたのに、料理の道に進んだ理由は?
「料理は私の憧れで、ささやかでも空間を作って料理を振る舞う人がかっこいいと思っていて。学生の頃、空間を作って思い出を作ることをしたい、と考えて。そこで、卒業制作として畑とキッチンがひとつになった『キッチンガーデン』という装置を作りました。食べ物を育て、食べることができる、人が集う装置。その実験がきっかけ。別府は、場所も安く借りられるし、イベントにも人が集まりやすくて、実験や研究をしやすい場所。 」
別府の魅力はなんですか。
「デザインでまとめられないカオス、雑多。そして猥雑。チェーン店が少ない。APU(立命館アジア太平洋大学)があることもあって、多国籍。ストリートに生活があって『アジアの一部』って思う。ベトナムの雰囲気を思い出す。」
街がかわった
僕は8年くらい前、別府市で仕事をしていました。
もちろん、温泉観光地として有名ではあったけど、今のように若い人が昼の別府の街を楽しむ、という印象ではありませんでした。
宮川さんはその少し前、東京造形大学で建築を学んでいた学生時代にまちづくりプロジェクトで別府を訪れています。
「その時、別府は廃れた印象で。昔、栄えていた街が、今、廃れている。大都市の未来が別府なんだと思った。別府という場所自体がデットストック。街の記憶が建築として残っている。人だって、お年寄りは『ビンテージ』。」
宮川さんは10年前に別府に移住します。
「別府の近未来を描くために来た。」
宮川さんは、まず大分県の作家ものを扱うセレクトショップの店長になり、その後、スパイス食堂クーポノスという飲食店を作ったり。
宮川さんが別府に住み始めて10年。
別府市は女性が食事をしたり、気軽に立ち寄れるカフェのような場所が少なかったんです。でも今、昼の別府には多くの女性が歩いています。
宮川さんの「別府の女性の食べる場所、癒される場所を作りたい」という思いが現実のものになっています。
「東京のカルチャーを埋めつけているわけじゃない。移住者だけど、別府にこだわっているんです。」
と宮川さん。
「街は建築家が作っているわけじゃない。建築家が作っていない建築が好き。
上から目線じゃない街づくりがお店を作ると思ってて。」
つまり、宮川さんが10年前、別府に「近未来を描くために来た」というのは、こういう店づくりを行うことで、街がかわっていくことを描いていた、わかっていたということ???すごい。
別府は、今、いろんな人が楽しめる街になっているんです。10年前、僕がいた8年前とは違う街になってる。
バサラハウスをやっていて楽しいと思う時は?
「面白いということになるのかわからないけど、『今日はお客さんが多かったね』とかスタッフと話しながら、まかないを食べている時間。」
週の月曜日から水曜日はハンバーガー屋さんがここに入っていて、高校生や大学生たちがそのハンバーガー目当てにお店にやってくるらしい。
「私一人で作っている意識はない。宮川園に会いに来る、という人だけじゃなくなっていて。みんなでこの場所を作ることができてる。育てる家のコンセプトを形にできていている。」
最後におすすめのお店を尋ねると、宮川さんがよく行くお店を教えてくれました。
・ふくや食堂(おでん屋)
・Sharing a table COTTONWOOD (カフェバー)
宮川さんのチョコスイーツが食べられるお店
この10年間、別府に暮らして、店を作り、街をつくってきた宮川さん。別府という場所に愛着を持って、ずっと、研究と実験を続けている人でした。
バサラハウスで、カレー食べながら店内の至るところに書かれた川柳を味わうのもいい。しびれる。
今回もいい場所と、魅力的な人を紹介できた(文章力の問題で伝わらない部分が多いかも、だが)。
次はどこいこ。
妄想旅行社ムトーツアーズ 代表 ムトー
※取材協力(ありがと):廣瀬凪里
宮川園 (たべもの建築家)
1987年生まれ。
東京造形大学卒業。大学で建築を学び、別府のまちづくりプロジェクトへの参加をきっかけに2010年同市へ移住。『BEPPU PUROJECT』入社し『SELECT BEPPU 』を立ち上げ、食の研究所『スタジオ・ノクード』や『スパイス食堂クーポノス』を経て、現在は『BASARA HOUSE』カフェオーナー。食を通じて人が集まる機能や装置を 生み出し、場作りを行う。