能登人のトリセツ
地震が日常を揺るがしました。
初詣からの帰り道に大きな揺れ。小刻みに震える電線。すぐにおさまるだろうという予想は裏切られ、振動は次第に激しくなり、そんな状態がずいぶん長く続いていたように感じられました。
「激震」が終わってからが本当の始まりでした。僕がいたのは細長い石川県の南側。震源からは遠いエリアでした。「震源はひどい被害になっている」。そんな直感がありました。外れてほしい予想でしたが、被害に関してはニュースで見る通り、甚大でした。
海に突き出た能登半島を北上するほどに被害は深刻でした。インフラの復旧すらまだ先のことです。それでも、復興に向けて人手が必要になる日がきます。必ずです。僕はその日の話がしたい。
ボランティアでやって来た人や再び観光で来た人に、地元の人と笑顔で語らってほしい。そんな個人的な願望が叶う日にそなえ、秘境ともいえる能登地方に住む「能登人」の性格や特徴をトリセツ的に紹介します。
・シャイ
能登半島という奥まった土地柄なのか、注目されたがらない人が多い印象です。目立つのが苦手。たとえば新聞やタウン雑誌などの取材をお願いされても、「なーん」(いやいや)と照れてお断り。「こんな年寄りの写真とらんといて」と顔を隠されます。何度も頼み込むと、最後は情にほだされて引き受けてくれることも。そんな時も、記事が紹介されると、照れてはにかみます。
・我慢強すぎる
日本海の荒波、雪に耐えて生活してきたのだから、当然のごとく我慢強いです。しかも、冬場の石川のスタッドレスタイヤくらいに標準装備です。忍耐力がありすぎて、大変な状況でも「なーん、大丈夫」と笑顔で我慢しがち。奥ゆかしい気持ちが本音にブレーキをかけて、結果的に相手の提案を拒否するなんてことも。弱音をぐっと飲み込んでいることも少なくないので、注意深く接して見極めてください。
・意外とパリピ。祭り好きすぎ
知っていますか、日本三大奇祭のあばれまつり。参加者があばれて、神様の乗った神輿を壊します。激しくあばれるほどに、神様は喜ぶという、まさに奇祭です。県外で働く人は、あの手この手で祭りの行われる2日間の休みを取り、幼稚園では黒板にあばれまで○日とカウントダウンして心待ち。あばれに限らず、さまざまな祭りがあり、近づいてくると誰もがパリピになり、心をワッショイさせています。
・よそ者を歓迎してくれる
外から来た人を「まれびと」として歓迎してくれます。お祭りでは「よばれ」というもてなしの文化もあります。親戚や知人を招いてごちそうを振る舞うのですが、見ず知らずの僕を招いてくれたこともあり、歓迎しすぎです。知り合いのところに遊びに行った時なんかは帰り道、いつまでも見送ってくれます。姿が小さくなって、見えなくなるまで、ずっと。
・意外とゴシップ好き
噂話がSNSより早く広がるかも。田舎あるあるです。昼の出来事が夕方には、みんなに知れ渡ることでしょう。ちなみに、能登に住んでいた祖母は80歳をすぎても、週刊誌を欠かさず愛読。芸能人の熱愛などは僕より詳しく、サッカー日本代表の情報まで網羅していました。おそるべし。
・能登はやさしや、にしても優しすぎる
今回の地震で自宅が断水になったままにも関わらず、伯母がお隣さんに水を分けていました。自宅で使う分も足りていないのに、なにそれ。なんたる優しさ。甥っ子びっくり。「能登はやさしや、土までも」と古くから言われている通りです。というか、土どころか、無機物である水にすら優しさを感じました。
・優しくて誤解されることも
提案されても優しくて断るのが苦手。やんわりと婉曲的に断ることもあります。
「なーん、いいわいね」「自分でするさけ、いいわいね」などと言われた時は、遠慮しているわけではなく、お断りの言葉なのかも。判断するには距離感がけっこう難しいです。
おしまい
いかつい顔した漁師のおじさんがほんのりツンデレで、人のいいお姉さん方は詐欺に遭わないかと心配になるほどです。ちょっとパリピで、変なところに頑固で、とっても働き者。能登は愛すべき人ばかりです。
トリセツでは紹介しきれなかった部分がまだ多々あります。本当にここで書かれている通りなのかも気になることでしょう。続きは現地で。きっと能登が好きになります。