懐かしい人
ニーハオ、ニホンコンです。
映画「翔んで埼玉」のプロモーションで、TVで見ない日はない懐かしい人がいるのと
青山を歩いてぶわっと蘇った記憶があったので、写真と共にそんな話を。
中華圏にどっぷりなイメージの私ですが、20代のころは音楽業界に足を突っ込んで
おりました。
もう、田舎者のミーハーむき出し、ミュージシャンに会いたい一心でもぐりこんだ世界。
当時の元号を拝借するならば、平成版「オラ東京さ行くだ」です。
取引先は広告代理店か音楽メーカー、アーティスト事務所、という、いわゆる
「ギョーカイ」におりました。
始業時間は10時だったけれど、終業時間なんてあってないような世界。
当時は夜22時でほぼ全員デスクにいたし、打合せが27時ってのもあったし、
早く帰れると思った日はだいたい仕事相手と飲みにいってボーリングに連れて
行かれてまた飲んで4時に解散して次の日また10時に出社するという。
もう、何がなんだかわからない、フラッフラな日々。
私は広告営業部に所属していたので、隣の編成部や制作部ほどアーティストの方々
接点があるワケではありませんでしたが、1度だけガッツリ関わった仕事があり。
それが、翔んで埼玉(笑)。
香港でPV(今はMVというけれど、当時はプロモーションビデオの略でPVと呼んでいた)撮影
があるというのを聞きつけ、「私も連れてってくれ!」とひとり大騒ぎ。
全然関係ない部署なのに、せっせと顔を出し、レンタカーやホテルの手配に首を突っ込み、
「香港の土地勘あります、北京語できます!広東語できます!」とアピールしまくり。
結果、行くはずだった若いADくんが一人東京に残留。代わりに私がアサインされた。ごめん!
今だからバラすと、北京語は香港であまり使わない、広東語はタクシーとメニューの
オーダー程度のレベル。
1週間の香港撮影ツアーは鼻血級の忙しさ。
監督さんカメラさん照明さんプロデューサーヘアメイクさんなど勢ぞろいの中、大した役割もないまま来てしまった私は、荷物を持ち、弁当を運び、外国人のモデルさんへの連絡など、本気の下働きに
徹した日々。
車のシーンでは私は前を走るカメラトラックに乗車。トラックの助手席に乗って、監督の合図で
「快啲啦(ファイディーラ/速く)・慢啲啦(マンディーラ/ゆっくり)」と
ドライバーに指示する役。
撮影旅は刺激的で、どの瞬間も忘れたくなくて、今でも思い出の引き出しにしまっている。
そしてそれは、いつでも披露できる「すべらない話」として取ってある。
ここでベラベラ書くのは失礼なので、この話はいつか会った時にでも。
ちなみに、懐かしい人は、この人です。
11月28日 ニホンコン
追記:このPV、監督が面白がって撮影スタッフをいろんなシーンで友情出演させてました。
私もチャイナドレスをまといキャバレーのスタッフで出演。が、モデルさんたちと並ぶと
見劣り感半端なく、編集作業で私のシーンはすべて無くなりました。とほほ。