小さな頃に好きだったもの。
日帰りでソウルに行ってきました。最近ケータリングの仕事をスタートした友人のダソムから、共同で行うイベントのお誘いをいただきました。
「知り合いのアーティストがオープンするギャラリーで一緒にワークショップイベントをやりましょう。こんなことをやりたいんだと友人に話しをしていたら、その場にいた仲のいい先輩が、わたしが展示をしたギャラリーでもイベントをやるといいとすぐに電話をかけてくれて、もう一箇所場所が決まってしまったの。よかったら2箇所で!」
3号線独立門駅の近くに10月にオープンしたforever.shadowed.white.starというギャラリー。そして、京東市場の中にある元々倉庫だった場所をギャラリーに改装し、今年4月にオープンしたThe Willow1995というギャラリーで、年末に1日ずつワークショップのイベントを行うことになりました。
食とアートを融合したワークショップを行いたいということは聞いていたのですが、オンラインでの対話だと、まだまだ自分の韓国語の理解が不足している部分もあって、テーマを本質的に消化するまでにどうしても時間がかかってしまう。オンラインのミーティングを重ねて、少しずつ修正をしていくものの、やっぱり顔を見て、現場を見て対話をするのが一番早い。そんなわけで会場の下見と打ち合わせに。
イベントのメンバーは4人。陶芸やアクセサリーの制作、料理を媒介にしたワークショップ、最近ケータリングの事業もスタートした「自分の手によって直接生み出されるもの」を軸に活動をしてきたアーティストのダソム。ダソムとは芸術高校、大学時代を共に過ごし、陶芸と人類学を専門に学び、クラフトをベースにしたインスタレーションやリサーチを行っているジヨンちゃん。そして料理と旅を生業とするand recipeの山田と小池。
今回のワークショップを行うために、出発点としてダソムからもらったお題の中でおもしろかったのが「본성(ポンソン)」というテーマでした。
ミーティング中、ダソムの口から何度も出てくる「본성(ポンソン)」という言葉。日本語に直訳すると「本性」という意味になるのですが、話をしているニュアンスだと「本能」に近いことを意味しているような気がする。
「본성 本性」を探る中で出てきたのは、「小さな頃どんなものが好きだった?」という質問でした。現在、それぞれに選んでいる仕事や人生につながる小さな頃、本能的に好きだったもの。気になってしょうがなかったもの。
ところで、ダソムはどんな子供だったの?
「今とは違って、どちらかというとはずかしがりやで静かな子供だった。野に生えている草や花、果物や自然の中にあるものを見ることが好きで。巾着に小さなナイフを入れて持ち歩いて、春は道端に生えているヨモギを摘んだり、シロツメクサを集めて冠を作ってお母さんにプレゼントしたり。自分が直接、手で作ったもので誰かが美しくなる。植物をモチーフにしたアクセサリーを作る活動も、思えばあの頃からつながっているのかもしれない」
知り合ってから10年近くになるのに、初めて聞くエピソード。花を摘んだり、シロツメクサで指輪や冠を作ったり。巾着に小さなナイフを入れて持ち歩いていたというエピソード。道端でどんな美しいものに出会えるか、わくわくしながら巾着を手に目線を下に落としながらきょろきょろと道端を見廻し、自分の大好きな世界に没頭していた幼い頃のダソムの姿が浮かんでくる。
別の日に、and recipeの山田にも同じ質問をしてみると。
「小さい頃から、物やことの『様相』にずっと興味があった。姿や形、様子。気になる情景。大人の人がそばをズルズルとおいしそうにすする姿。ボーイスカウトをしていた時の夜に、みんなで火を囲んでいる様子。今思うと、最近よく撮っている写真も、様々な様相を撮っているのだと思う。それから子供の頃はいつも、『なぜ』が物事の出発点だった。あの景色はなぜ美しいの?あの情景はなぜきたないと感じるの?何かの境界線に近い位置にあるものに『なぜ』を感じることが多かったのかもしれない。子供の頃はシステマチックに頭を動かしていたのではなく、純粋な『なぜ?なんで?』をいろいろな場面で感じていた気がする。なぜからスタートして、新しい遊びを作ることも好きだった。ゴルフをするとき、ボールはなぜ小さくないといけないんだろう。実家は海が近く、家から3秒の距離にあったから、浜辺でできる遊びをよく考えていた。浜辺に穴をほって、ボールはサッカーボールを使って、新しい形のゴルフをやってみたりしていた。」
レシピを作る仕事も、店舗をプロデュースする仕事も。今でも、この「なぜ」からアイディアをスタートさせているスタイルは変わっていないように見える。
小さい時に好きだったもの、やりたかったこと。本当に好きだったもの。好きかどうかははっきりしていないけれど、なんとなく気になって、気づけばいつもそばにあったもの。好きの出発点。節目節目で「こっちがいい」と何かを選択して、たくさんの選択の先にみんなの今がある。
年末のイベントの中身をつめながら、家庭では子供の高校受験を前にして、高校見学に行く日々が重なっていました。息子が高校を選ぶ一番の条件は、軽音楽部があること。自分は親の意のままに小学校で受験をし、好きの含まれた理由で学校を選択することはなく高校まで過ごしてしまった身。15歳ではっきり「軽音楽部のある学校に行く」と好きなことを伝えられる息子がちょっと羨ましくなる。見学に行った高校の学園祭で楽しそうにバンド演奏する先輩たちを見ていた息子に「どうだった?」と聞いてみると。「こうやってお客さんを乗せていくんだなって。客席を盛り上げるやり方がわかった気がする」と、さらっと答えが出てくる。そういうところを見ていたのか!とびっくり。真剣に見ていないとそんな答えは出てこないだろうから、いいぞいいぞ、いい選択をしているねと、嬉しくもなる。実際に自分がステージで演奏する姿を想像していたのかもしれないし、純粋に、自分たちのボディ最大限に使って歌って演奏して。パフォーマンスで誰かの心を動かすことのできている先輩たちが、キラキラまぶしく光って見えていたのかもしれない。
巾着に小さなナイフも、「なぜ」からスタートする遊びも。軽音楽部の演奏を見ていて心が動かされる瞬間も。それぞれの細部へのこだわりが見え隠れする幼い頃のエピソードを、集めていくのはおもしろい。
そういえば自分が小さな頃好きだったもの。改めて思い返して見たときに、「We Are The World」がふと頭に浮かんできました。
ライオネル・リッチーの歌声からスタートして、スティーヴィー・ワンダー。ポール・サイモン、ケニー・ロジャース、ジェームス・イングラム、ティナ・ターナー。ビリー・ジョエルの後にマイケルジャクソン。ダイアナ・ロス、ディオンヌ・ワーウィック、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウと続いて、よく物真似をしたブルース・スプリングスティーンからケニー・ロギンスのパート。ケニー・ロギンスの「フットルース」好きだったなぁ。話がそれましたが、もう一息。スティーブ・ペリー、ダリル・ホール、マイケル・ジャクソンがもう一回登場して、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー。シンディー・ローパーのパートも何度も真似をしました。キム・カーンズ、ボブ・ディラン、レイ・チャールズ。もう一度スティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ジェームス・イングラム、レイ・チャールズ。ソロのパート以外に参加したアーティストも合わせると総勢45名で歌われた曲。
1985年に発売されたレコードを、9歳のコイケは何度も何度も父のレコードプレーヤーにかけ、一人一人の歌真似をしながら、歌詞も覚えていきました。今も、かなり正確にそれぞれの歌い方とハモリを真似できる。ダリル・ホールからマイケル・ジャクソンにバトンタッチする部分もよかったなぁ。なにより、とても個性の強いアーティストが曲の中でみごとに融合している状態に幼かったコイケは感動していました。英語という同じ言語を使ってはいたけれど、一人一人の音色、歌い方は全く違う、それなのに美しい1曲になっている。そのことが、子供にとっては単純にとてもかっこよかった。その歌の先に、志の高い目的があったことは、子供の頃にはうっすらとしか分かっていなかった。
思えば、いろいろな国の言葉を学び続けたいと思う出発点は、「We Are The World」だったのかもしれない。違う言語、違う肌の色、違う背景、違う価値観を持ってはいても、その国の言葉で学ぶことは相手に対するリスペクトのはじめの1歩。その国の言葉で考える出発点に立って、いつか自分の言葉として理解をしたい。
ごはんの役割ももちろん大きい。「We Are The World」に参加したアーティストが歌で境界線をなくしたように、おいしいごはんが言葉が不足している部分を補って、境界線をなくす手助けをしてくれる。
いいイベントのお題をダソムにもらったおかげで、小さい頃の自分にしばしワープ。その頃好きだったものを大人になった自分が振り返ってみると、今の自分が大事にしていることをもう一度くっきりと明らかにしてくれる。
これからまたやりとりを重ねて。年末お客様にお見せするワークショップがどんなものになるのか。内容の変化を面白がりながら、おいしいごはんで様々な境界線がゆるやかに溶けていくような時間を作っていきたいと思います。
11月もあっという間に過ぎて、すぐに12月がやってきますね。
風邪をひいている人もまわりにちらほら。年末までのお忙しい日々、どうぞみなさま体調に気をつけてお過ごしくださいませ。