旅と看板と僕
大縦走を終えたばかりでホヤホヤの若岡です。北海道から鹿児島まで、3カ月ちょっと山をつなぐ旅をしていました。踏破した道のりは4,600km、富士登山95回分くらい登っては下りを繰り返しでした。
終わった実感がないまま、するっと日常に戻ってしまったので、頭の整理がてら写真で振り返りをしていきます。今回は九州の看板を中心に!
祖母山周辺で見られる看板。丸っこい字体がとてもかわいくて好きです。愛らしい丸みに反して、険しい箇所がいくつもあります。ハシゴやロープを使って進むことも。
首都圏のように登山者が多くなくて、九州の登山道はわりとラフ。だからなのか、看板が味わい深いです。こちらも祖母山系。手書き、金属製と木製、そもそも看板の数が多く、情報が渋滞しています。
くじゅう連山の吉部登山口にある駐車場も情報量過多。笑顔でチューできるそうです。「駐車」の「ちゅー」とかけているのでしょうか。
くじゅう連山から下りて、祖母山に向かう途中にも情報過多の看板ビル。瞬時に目当ての店を見つけるのが難しそう。。。「くすりの店」を大きくして店名を控えめにしている「岡 薬店」はきっと店主が恥ずかしがり屋なのでしょう。全体的にかっちりした印象のゴシック体ですが、「あだち」が字体、色彩ともに存在感を放っています。
こうした看板群から、各店の地域での立ち位置や奮闘ぶりが垣間見えます。
お次もロードサイドの珍看板。なんと、手書きの道路標識です。間違えやすい分岐なのでしょう。矢印に加え、国道を表す逆三角形に数字を書くという配慮がなされています。優しさでできた看板です。
手書きならではの遊び心があったのは京都の愛宕山。傾斜のキツい坂道か、ゆるりと回れる迂回路なのかを選ぶ看板です。「若者」と「一般」。はたして自分はまだ若いのだろうか。心だけでも若くあるべきなのか。すなおに年齢を受け入れるべきなのか。足を止めて真剣に悩んでしまい、一緒にいた同い年の友人に笑われました。
旅も人生も、至る所に分岐があります。そして、その数だけ決断があります。どちらに進むのか、あるいは止まり、引き返すのか。看板は静かに僕たちの決断を待っています。時に控えめに、時に自己主張強めに。いずれにせよ、看板のことが思い出に残るのは、そこで何らかの選択をするから。看板に対峙して、自分と向き合うからこそ、記憶に刻まれるのでしょう。
ということで、看板の面白さは旅の面白さという強引な結論を導いて今回は終わります。おつかれ山でした!