モノレール。
今週はレシピの仕事でお世話になっているBALMUDAさんの新製品発表会で、2日連続で天王洲アイル行ってきました。
天王洲までのルートはふたつ。大崎からりんかい線、浜松町からモノレール。移動時間はそんなに変わらないのですが、久しぶりにモノレールに乗りたくて、2日とも浜松町からの移動を選択しました。
小さな頃、母の田舎・愛媛県の大洲に行くためによくモノレールに乗っていました。夏休み、羽田空港まで両親が送り迎えをしてくれて、飛行機は一人で搭乗。松山空港で親戚が待っていてくれて、おばさんたちの家に遊びに行くことがなんどかありました。
ANAのCAさんが座席まで案内をしてくれて、フワフワした素材でできたおもちゃを選ばせてくれる。飛行機に乗っている間、何をしていたのか、どんな気持ちでいたのか。今となっては細かくは思い出せないけれど、飛行機がふわりと浮く時の感覚と、雲の上に上がって雲海が下と横並びに見える時間が好きだったことだけは、部分的に鮮明に覚えています。雲の上にあがると太陽をより明るく感じて、雲の上をすべるように走る飛行機がとても不思議で心地がよかった。
それからコンソメスープとリンゴジュース。今では小さく感じる紙コップを、当時は大きいと感じていた。飛行機で飲むことのできるスープ、今でも大好きな味です。
羽田空港までの移動は、車の日もあり、モノレールで移動もあり。車はらくちんだったけれど、モノレールに乗るのが楽しみで、電車の移動も悪くありませんでした。
横向きになった座席、スーツケースを置くスペースのある電車が新鮮。1本のレールの上を走る電車が不思議でもありました。車で移動する時に、高速羽田線からカーブでは少し傾きながら走るモノレールを見るのも好きでした。滑らかな動きが、生き物のようにも見える。モノレールに乗っている時は、レールが高いところにあるおかげで、東京湾や空がよく見えて、ずっと気分がいい。前を見ても、後ろを見ても、右を見ても左を見ても景色がずっと楽しい。
小学生の時にはなかったお台場のフジテレビの建物やスカイツリー。天気がよくてもよくなくても、モノレールから見る東京の街は、子供の頃も大人になった今でも美しいなと感じます。
やっぱりモノレール、好きだなと思いながら、東京モノレールのHPをはじめて開いてみました。駅は全部で11個。モノレール浜松町、天王洲アイル、大井競馬場前、流通センター駅、昭和島駅、整備場駅、天空橋駅、羽田空港第3ターミナル駅、新整備場駅、羽田空港第1ターミナル駅、羽田空港第2ターミナル駅。
運行会社は東京モノレール株式会社。
モノレールは、1本の軌条によって進路を誘導されて走る軌道系交通機関のことで、語源はギリシア語なんだとか。「ただ一つの」を意味する言葉に由来する接頭辞「mono-」と、英語で「軌道」を意味する「rail」をくっつけたもの。単軌鉄道とも言われ、跨座式と、懸垂式の2つに大別ができる。羽田線は跨座式になるんですね。そういえば、祖母の家があった葉山に行く道中にもモノレールがありました。大船観音の近くを走るモノレールは懸垂式と呼ばれるものでした。
東京モノレールの表定速度は、普通が44.5km/h・区間快速が50.9km/h・空港快速が56.5km/h。6両編成の電車。
乗降者数はやはり浜松町が多く、75,646人。そこに続くのは羽田空港かなと思いきや、天王洲アイルで20,339人でした。空港第一ターミナルは18,033人、第二ターミナルは18,834人で、天王洲アイルで乗降する人の人数の方が多いことに少し驚きました。
そういえば、モノレールの開業っていつなんだろう。答えは昭和39年。西暦にすると1964年9月17日。東京オリンピックに合わせて、浜松町から羽田空港をむすぶ路線が作られた。日にちに着目すると、なんと!!!59年前の明日でした。1964年の9月16日には、開業前日のテープカットが行われていたそう。なんというご縁。
一人で飛行機に乗る冒険的な気持ちを、いつも思い出すことのできるモノレール。大洲で見た鵜飼にびっくりしたことを思い出すモノレール。遊び疲れておんぶをしてもらったおばちゃんの背中を思い出すモノレール。木の棒が2本ついていたアイスバーを思い出すモノレール。
モノレールに乗るといつも思い出す場所や時間があります。
旅が好きな今の自分の一部は、モノレールが作ってくれたものかもしれません。
モノレール、やっぱり好きです。
今週、モノレールから見た空も雲が大きくうねっていて、安定していない大気を感じることができましたが、今日のお天気はもってくれるのでしょうか。
これから写真のワークショップ。参加者の皆さんが撮影に出かける時間には、晴れ間が出てくれることを祈りつつ。
今週も1週間おつかれさまでした。
みなさま、どうぞたのしい週末をお過ごしくださいませ。