旅した地を想う。

おはこんばんちは。飯塚です。

モロッコで地震がありました。

今年頭、久しぶりにトルコの知り合いに連絡をしたわけは。

今年は2月6日にも大地震がトルコでもありました。

このトルコの震源地、2007年に旅した際にたまたま泊めていただいた家族の家に近そうで安否が気になり、地震直後に久しぶりにメッセージを送りました。

彼らの家族は無事だったし彼自身は被災地に物資を届けたりした、などと後日facebookで報告しているのも見て少し安堵しました。

しかし、そのあと、

「君が滞在していたホテルは倒壊していたよ」

とメッセージがあり、とても悲しい気持ちに。

特に思い入れはないホテルだとしても、自身がいた場所だと知ると、ニュースの「どこかの自然災害」は違う形で胸に刻まれる。

泊まったホテルの前の公園で出会った少年たち。一人は体重計を持っていた「体重計屋さん」だった。(体重計に乗ったらお金を払うというもの。)
トルコの街並みは素敵。

そういえば、トルコを旅していて出会った地元人に聞かれた。

「神戸の地震はあんなに大規模なのに日本はすぐに復興するのはなぜ?トルコの復興は遅い。大地震があっても日本はすぐに立て直すから日本を尊敬しているんだ」

と。

仙台では震度3や4くらいなら日常茶飯事。

仙台出身なので幼い頃から頻繁に起きていた地震。私自身は慣れすぎてさほど恐怖と思っていなかったりする。

これまでに命の危険を感じるような経験がないからだ。

実家は地盤がしっかりしているし、地震が多い宮城県は建造物も耐震性に優れている。

あの三陸沖地震でも実家はお風呂のタイルが割れたくらいでダメージが少なかった。

それもあり、地元を離れて「宮城県で地震」のニュースを聞いても私は実家の心配をあまりしない。

もちろん、地震起因の火災などはあるけれど。

地震が起きないアイルランド。

「地震慣れ」してないと日本に一時帰国した際にさほど大きくない地震でも久しぶりすぎて驚くようになった。

息子1号は日本の小学校体験入学で「地震の防災訓練」は貴重な体験だったようだ。

そうだ。確かに私もまだ覚えている。

地震が起きたらテーブルの下に隠れる。だとか、ガスの元栓確認する、とか。

頑丈な靴を履いて避難する、頭もガードの必要がある、とか。

そんな教育を受けた事はありがたい。

旅先で震災に遭う可能性もある訳だから。

地震が起きないアイリッシュはその辺りの知識など皆無だ。

耐震強度がないからこその被害。

カトマンズや今年頭のトルコ、今回のモロッコ。

トルコの地方の夕暮れ時。

耐震基準などなくレンガを積み上げただけのような家々だから被害が甚大なのは専門家の話を聞かずとも明らかだ。

今回の震源地は私も滞在したマラケシュに近い。

迷路のような入り組んだ路地。

マラケシュの路地
マラケシュ、買いたいものがたくさんあっても何も変えないのが世界一周だった。

あそこで大地震が起きた事を想像するとかなりおそろしい。

観光資源が豊かなモロッコ。

海、砂漠、山、歴史的な街並み。伝統工芸品の数々。

サハラツアーの通過点。
サハラツアーで訪れた場所。映画「グラディエーター」撮影地だそうです。

食べ物。

サハラツアーで食べたタジン鍋
サハラ砂漠ツアーのハイライト。ラクダの乗り心地はよくなかったけど楽しかった。

コロナが収束してからはヨーロッパを始めとした外国人観光客が以前のように戻ってきていたようだ。

当然ながら観光収入に頼る人も多い。

シャフシャオエンは街が全て青色

そんな中での震災。

モロッコ最北端のタンジール

日本ほどではなくとも度々地震が起きているモロッコ。

ただ、今回のマグニチュード6.8は1755年以来の大規模な地震なのだとか。

行方不明者もまだ多く、山間部はアクセスもできないという。

被災者が1日でも早く救済されますように、と改めて祈りながら昔の旅を思い出した。

いつかまたこの地に行けますように。

フェスのインドア街

西果て便り

(毎週木曜日更新)
世界放浪の後にヨーロッパの西端アイルランドに辿り着く。海辺の村アイリッシュの夫、と3人の子供達(息子二人、娘一人)と暮らしています。