黄金郷の回転木馬。

総面積206.972㎡、東京ドーム約4.3個分(なんで毎回ドーム何個分て例えるんだろうと思ってたんですけど、5万人のお客さんが入る広さのドームが何個入る。は、なんとなく想像がしやすい。確かに。)

現在は32のアトラクションが稼働しているとしまえん。

何十年ぶりかに訪れてびっくりしたのは、その広さのこと。
東京ドーム約4.3個分の広さがある敷地のはずなのに、記憶がくっきり残っている中学生の自分が見ていたものとすり合わせるとだいぶ小さく感じる。
もちろん一歩の歩幅は大きくなったし、背も伸びて目線も高くなったのだけれど。


メリーゴーランドは入り口からもっと遠くにあった気がするし、
あれ、当時怖くて乗れなかったシャトルループの黄色いレールの先端が見えないかも?

としまえんに興味を示していなかった数十年の間に、
過去のわたしが克服できなかった黄色い乗り物は、自身の役目を終えて、あるはずの場所から姿を消していた。

高床式になっていたシャトルループの発車場。
足をすくませながらその階段を登って、コースターがスタンバイしている場所までは行ったことがある。
入園者数も今よりだいぶ多かった当時、80分・90分待ちはザラだった。
待ち時間に、何度も何度も目の前を通り過ぎる機体を眺めながら、その速度と高さに、やっぱり無理と引き返した「闘う前に負けた」思い出のあるローラーコースター。

「ピッ、ピッ、ピッ、ポーン」という合図で一気に加速するシャトルループ。
大きく円を一周して、そのまま空に放り投げられそうな高さまでレールを上がっていき、一瞬時が止まったように先端で一呼吸おいて、急降下。
後ろ向きのまま、また円を一周し、逆サイドのレールの先端へ。

ローラーコースターの神様、ドイツのアントン・シュワルツコフが生み出した絶叫マシーン。
シャトルループは、1979年に横浜ドリームランドに設置されてから、小山ゆうえんち、ナガシマスパーランド、としまえんと日本では4ヶ所の遊園地で人々を興奮させていた。
横浜ドリームランドは2002年2月、小山ゆうえんちは2005年2月にそれぞれ閉園。遊園地の閉園と共に、ふたつのシャトルループも姿を消した。
(「おやまゆうえんち〜」という歌と桜金造さんがすぐ頭に浮かぶ44歳)
大人になったらいつか必ず乗ると思っていたとしまえんのシャトルループは、2008年に運行を終了し、影も形もなくなっていた。

今回詳しく下調べをせずにとしまえんに足を運んで、もうひとつ小さくショックを受けたのは、アフリカ館がなくなっていたこと。なんともゆるく、ツッコミどころも満載だったアトラクション。「アフリカ館」をなつかしく思っている人がたくさんいたことも、今回の訪問後にiphoneの中で知った。

ジープ型の乗り物でアフリカ大陸を回るアトラクションは1969年にとしまえんに登場した。
中高生だった当時、あまり並ばずに乗れる乗り物だったので、園内を歩き疲れるとアフリカ館に涼みに行った。マサイ族に会い、象の大きさにちょっとビビりながら、出口のところでCAさんに「サヨウナラ、サヨウナラ」と見送られていた、私にとってのとしまえんの憩いの場所。この文章を書いている今も「サヨウナラ、サヨウナラ」の声が、かなり鮮明に耳の奥によみがえる。

1998年に老朽化で閉鎖され、アフリカ館のあった場所はトイザらスになっていた。仮面ライダーのおもちゃをとしまえん横のトイザらスに買いにきたことがあったのに、アフリカ館のことはまったく頭になかった。
マサイ族がいた位置で、仮面ライダーのおもちゃを手にしていたかもしれないのに。

その時に興味がない情報には、こんなにもアクセスしないものなんだ。アフリカ館がなくなってから22年もたった今、知ることになるなんて。ずいぶん薄情で都合の良いものだな。思い出さない時間の方が、だいぶ長かったはずなのに。なくなったことを知って、ショックを受ける自分は。

あぁ、こんなことで、立ち尽くしている時間はないんだった。
今日は、メリーゴーランドに乗りにきたのだ。

日本で一番古いメリーゴーランド、としまえんのカルーセル・エル ドラド。(実際、としまえんのメリーゴーランドのことを詳しく知ったのだって、閉園するとわかって、いそいそとここに飛んできた今回。知らないままでいるよりは、知ることができてよかったのだけれど。)

「カルーセル=回転木馬」 「エル ドラド=スペイン語で黄金郷」

小さな頃大好きだったメリーゴーランドに、中学生になるとなんだか恥ずかしくて乗れなくなった。ちょっと背伸びして絶叫マシーンにチャレンジしたり、お化け屋敷に入ったり。メリーゴーランドの横を通り過ぎるだけだった。

高校3年生になると、不思議とその恥ずかしさがなくなって、よくメリーゴーランドに乗った。夏の夜に美しさを増す、カルーセル・エル ドラド。回転木馬が回っている5分の間、友達と並んで馬に乗りながら、他愛もない話しをするのが好きだった。

本当は、昼と夜が切り替わる時間にメリーゴーランドに乗りたかったけれど、今日の閉園は17:00。それはかなわなかった。

1907年にドイツでヒューゴ・ハッセが製作した、このメリーゴーランド。
木彫りの彫刻で作られた馬は、もちろん全て異なる顔をもっている。ヨーロッパのカーニバルをまわった後、1911年にアメリカへ渡ったカルーセル・エルドラド。NYブルックリンのコニーアイランドで人々を楽しませた回転木馬は、1964年遊園地が閉園した後、4年経って日本にやってくる。修復作業を終えた1971年から、このとしまえんでまたたくさんの人を喜ばせるために回り始めた。

乗り物券を買う時間がなかったので、現金で300円を払ってゴンドラに乗車する。

「あ、ちょっと待ってくださいね」

メリーゴーランド担当の男性が、小さなウエストポーチから「ご利用済証 300円 としまえん」と書かれたクリーム色の証明書を渡してくれた。
お財布から思いがけずこの小さな証明書があらわれた時に、またとしまえんのことを思い出すのだろうか。その他の多くの時間は、1ミリもとしまえんのことを考えていないかもしれないのに。やっぱりいい加減で都合の良いものなんだな、自分の感情は。でも、そんなことだらけなのかもしれないとも思う。

ゴンドラに腰をおろして、カメラのファインダーをのぞくと、心なしか自分と同い年くらいの女性のグループが多く目に映る。3つ並んだ木馬に女性が3人。仲良くおしゃべりをしている。こどもの頃にもおんなじように3人並んで木馬に乗っていたのだろうか。

回転木馬の音楽は軽快でゆったりと流れ、明るい音色をしているはずなのに、今日は少し物悲しく聞こえる。

カメラを構えていたせいか、少し酔いはじめて気が付いたのだけれど、メリーゴーランドってこんなに早く回転するんだったっけ。

早々にシャッターを切るのをやめて、ただただ5分の乗車時間を味わう事にした。

フランクリン・ルーズベルトも乗ったかもしれないこの回転木馬。
2026年には100周年を迎えるはずだったとしまえん。
自分が興味をなくしている間に、なくなっていた乗り物のこと。

今年の8月31日になくなってしまうから、慌ててここにやってきた自分。
「カルーセル・エル ドラド」という名前を、こどもの頃には全く知らなかったこと。

ぐるぐる回る回転木馬の中心部を眺めながら、知らないことの方が多かったとしまえんに小さくごめん、と言ってみる。

東京都の防災公園と一部はハリーポッターのテーマパークになるというとしまえん。「カルーセル・エル ドラド」の行末はまだ明かされていないけれど、美しくかっこいいこのメリーゴーランドに、どこか行き先があることを願う。

古くなったものを新しくすることは簡単で、もちろん壊して新しくすることが必要な時期もある。でも、一度壊してしまったら、2度と戻らないことやものもある。

1907年ドイツのどこかの街で、この木馬の目を丁寧に彫り、色をつけた人々との繋がりを感じながら、この木馬がどこかでまた、誰かを喜ばせてくれたらいいなと願う。

全くもって無責任な願いだけれど、どうかまた新しい場所でと。

メリーゴーランドを降りて少しだけ写真をとってから、数十分前に通過した入園口へ向かう。もうこのゲートをくぐることはないのかもしれないと思うと、この瞬間ばかりはとても寂しくなる。

そのまま右に曲がれば駅の改札で、西武線が待っているのだけれど、なんとなくモヤモヤした気持ちのまま電車に乗ることができなくて、練馬までの一駅を歩くことにした。

周辺には変わらない人々のくらしがある。「豊島園」という地名を見て「としまえん」のことを知っている人と「としまえん」のことをしらない人にわかれる、少し先の未来のことを思いながら、とぼとぼと街をすすむ。

1時間ほど前、電車がゆっくりとくだった西武線の高架の上には、まだ明るい空に白い月がぽっかりと浮いていた。

今は高架下の駐車場になってしまった、元線路沿い。下を向きながら歩いていると「パンッ、パンッ」とサンドバックを叩く乾いた音が聞こえてきた。少し強い風が目の前を抜けて、横の建物に目をやると、高校生の男の子がボクシングの練習にはげんでいる。

「こんにちは〜!」今度は、凛とした気持ちのいい挨拶が前方から聞こえてくる。小学校4年生くらいのスラッとした女の子が、頭の高い位置で髪をきゅっと束ねて、颯爽とジムの中に入っていった。

左右に大きく揺れるポニーテールに元気をもらった私は、顔をあげて練馬駅の階段を登った。