思いつき。
NETFLIXで毎週配信を楽しみにしていた作品が終わってしまいました。
『나쁜엄마(ナップンオンマ)』邦題は『良くも悪くもだって母親』。毎週タオルを手に、水曜日と木曜日の夜中にスタンバイして、配信を待つ時間も楽しかった。ラ・ミラン演じる養豚場を営む母ヨンスンと、母の言いつけ通り検事になった息子ガンホを演じるのは『ザ・グローリー』で大きな話題になったばかりのイ・ドヒョン。ある事故をきっかけにほとんどの記憶をなくし、7歳に戻ってしまった息子と、厳しく育ててきた過程でできてしまった大きな溝を取り戻していく母の時間。不幸な事件によって、一人で息子を育てていかなければいけない状況で飛び込んだ見知らぬ土地チョウリ村。養豚場の匂いに住むことを反対していたはずの村の人々の温かさにも毎回泣かされる。豪華なカメオ出演と出演陣の過去の映画やドラマのパロディーシーンもあって、泣いて笑ってあっという間の14話。自分一人ではどうすることもできない大きな事件に巻き込まれても、劇中で何度も流れる母ヨンスンの携帯の着信音の歌の歌詞は、「나는 핼복합니다.(ナ〜ヌン ヘンボクハンミダ)」私は幸せです。
YouTubeで見ることのできるメイキング映像では、チームの仲の良さが垣間見れて、見ている私も「나는 핼복합니다.(ナ〜ヌン ヘンボクハンミダ)」。ドラマの中で、母ヨンスンも息子ガンホも、自分ではどうすることもできない状況に見舞われ、大切な人を守るため、誰かの未来のために自分を捨てて、計画的になるしかなかった時間が流れていました。
どんな人にも衝動的な部分と計画的な部分と両面が備わっているのだけれど、自分はどちらかというと衝動的な人間だよなぁとドラマを見ながら思っていました。
テレビっ子、ラジオっ子だった中学生の時代に、やんわりとできた夢はマスコミに行きたい。芸術大学の放送学科に入って、大学4年の就職活動の時期がやってきて、試験や面接が一番早かったのはテレビ局。順調に落ちて行って、次に順番がやってきたのは芸能プロダクション。大好きだったお笑いの番組は、マネージメントをする側にいても制作できることを知って申し込みました。その時の自分はかなり衝動的なものによって、動かされていた。
がむしゃらによく働いたとハンコを押してあげたい20代。ひとつはまずやりきったという感触があった27歳。円満に卒業するならこのタイミングかもしれないと、次の計画が何もないままに上司に申し出た。その話をたまたま聞いた先輩が、自分のいる会社に誘ってくれた。手には1冊の本『インターネット的』。「これを読んでくれたら、全部言いたいことが書いてあるから」。本を読み終えた時に、その会社で働きたいと思った。思い返せばそれもかなり衝動的。
唯一あまり衝動的ではなかったのは、今の会社を始めようと思ったタイミングだったのかもしれません。2011年に東日本大震災があって、東北の尊敬する人たちに出会って。何か自分で始めなければと小さな思いが生まれるきっかけをもらいました。そうして、今に至ります。
人生の転機のいくつかと並べるのもどうかと思うのですけれど。今週の頭、20年数年ぶりにピアスを開けました。右と左の耳にひとつずつ。
18歳で開けたピアスは右と左に一個ずつ。高校を卒業してすぐ、原宿の竹下通りにあるピアスの店に行って、ジルコニアのピアスを選びました。なんであんなにピアスを開けたかったんだろう。単純に可愛いからということもあるけれど、今思えば厳しい女子校に12年通っていた自分を、解放させてあげる儀式のようなものだったのかもしれない。小型の拳銃のような機械にピアスが装着されたあと、「パチン」という音が二回、右と左で鳴りました。
左耳にもうひとつのピアスを開けたのは、最初の会社に就職した1年目。時間的な忙しさと、自分の仕事のできなさと。自身に対するちっちゃな怒りがふつふつ溜まって、会社のデスクに欠かさなかったミニサイズのスニッカーズを、衝動的に口にする日々。お気に入りのズボンが入らなくなって、気がついた時には体重が就職前よりも10kgオーバーしていました。ピアスを開けたからといって、何かが変わるわけではないこともわかっていたのだと思うのだけれど、何かしないでいられなかった結果が、ピアス。自分で「パチン」とできるピアッサーを買った。耳たぶを氷でよく冷やしてから、耳の後ろに生姜を置いて太い針でブスっと刺すといいよというアドバイスももらったのだけれど。針はなんだか怖い。勇気が出なくて選択したのは、ちょっとだけ安全に見えたピアッサー。怖いという感覚が減るはずの選択だったはずなのに、結局自分で「パチン」と穴を開けるまでに1時間以上かかった記憶がある。鏡の前でなんどもピアッサーをセットして、親指と人差し指で「パチン」を実行しようとしては、あわわと機会を逃す。最終的には針が斜めに刺さることもなく、なんとか3個目のピアスが装着された。
お気に入りのブランドでピアスを買っては、片方づつなくす。キャッチがなくなって、しまった場所がわからなくなって。おおぶりのピアスは、帰り道で耳が痛くなって外す。かばんに入れたり、ポケットに入れたり。かたっぽが行方不明に。そんな感じだから、衝動的にピアスが欲しくなっても少し慎重になる。なくしても悲しくならないピアス。とはいえ、気に入ったデザインだから欲しくなるわけで。結局、どんなピアスでもなくしたらちょっぴり悲しくなるの繰り返し。
先週の土曜日、AUGUST.Dのライブビューイングを新百合ヶ丘の映画館に見に行った帰り道。久しぶりにピアスを開けよう、衝動的に思いました。スクリーンにアップになった両耳でたくさん揺れているピアスがなんだかとてもかわいくて見えて、右と左にあとひとつずつ。全部合わせて奇数になるのが、やっぱりバランスがいい。とはいえ、40代の私には、自分で「パチン」をする自信がない。どこでピアスを開けてもそんなにかわらないとは思うのだけれど、より安全に感じる皮膚科を選んでぽちっと予約ボタンを押す。
日程が決まってしまったら、なんだか楽しくなって、どこにパチンとするのが良いか「ピアス、場所」で検索をかける。耳の上の方のきわにピアスが光っているのもかわいい。この場所がヘリックスと呼ばれることも、今回初めて知りました。軟骨のこりこりした部分を右手の親指と人差し指で挟んでなんどもさわる。一瞬だとしても、きっと痛いんだよね。軟骨ってどのくらいじんじんするのかな。軟骨に痛覚ってどのくらいあるんだろう。
そんなささいなことを次々頭に思い浮かべながらながら、予約をした時間に皮膚科に行く。丁寧な問診を受けて、ファーストピアスを選びます。ピアスはファーストじゃないけれど、その位置につけるのはファーストだから、ファーストピアス。ゴールドの枠がついた同じピアスをふたつ選んで、サインペンで位置をとる。尖ったペンの先が耳の上にひやっと乗る。ピアスを開けてくれる看護師さんの耳を見ると、左側の上の位置にピアスが光っています。
「その位置って、痛い、ですよね」
「はい。痛いです」即答でにこっと笑う看護師さん。
「ですよね」やっぱり耳たぶのほうにします。「パチン」の直前の直前まで「やっぱりここで!」と言いたかったのだけれど、即答の「痛いです」の痛みに耐えられる自信がなかった。
怯んだ結果ではあるのだけれど、2番目にいいと思う位置にサインペンの黒い点が打たれた。確実な位置を決めたあと、アルコールの浸されたコットンが耳たぶの上を行ったり来たりして、ついに「パチン」タイムになった。「このくらいの音がするので、驚かないでくださいね。」何十年ぶりに目の前に現れた小型のショットガンにピアスが装着されて、デモで「パチン」をやってくれる。こんな感じだったっけ。思い出したと言いたいところだけれど、どんな痛みだったのか、全く記憶がない。
「はい、いきまーす。3、2、1」
1の掛け声がかかったところで、体にぐっと力が入る。パチン。
「じんじん、しますよね。」
大丈夫かどうか優しく確認をしてくれる看護師さん。
準備が整ったら(これは主に心の準備のことだと思う)逆側もいきますね。
「はい、3、2、1」
パチンの音は思ったよりも大きくなく。パスっと耳に穴があいた後の痛みが、じわじわ脳を刺激する。あぁ、こんな感じだったっけ。
「1ヶ月から3ヶ月くらいは、ピアスをはずさないでくださいね。消毒はこの軟膏を1日2回ずつ、綿棒でたっぷり塗ってください。」
左側に3つのピアス、悪くない。自分だけの小さな変化。「나는 핼복합니다.(ナ〜ヌン ヘンボクハンミダ)」。思えば衝動的な思いつきが、次の何かの原動力になってきました。ピアスをあけたことが、何の原動力になるかはまだわからないけれど。
海馬に一時的に収納されたじんじんする痛みは、扁桃体が重要なことだと認識してストレスになることはなく、数時間後にはあっという間に消えていました。
今日も梅雨らしい、しとしと雨ですね。水をたっぷり浴びた紫陽花が美しいです。皆様、どうぞよい週末をお過ごしください。