普通の子育て
ニーハオ、ニホンコンです。
ごくごく普通の、お母さんです。
最近、友人と話していた時に、子育てで苦しい思いをする人がいる、と。
ハイハイ、私もそのクチですが何か。
よそんちの事情は見えない。それどころか、隣の芝生は〽グリーングリーンだ。
子どもたちも言う。周りのお宅はおうちもきちんとしていて、おかあさんは
優しくて、朝からオシャレなご飯を食べている、と。
もはやこのセリフ、聞きすぎて母にとってはただのBGM。
SNSで流れてくるよそ宅の親子関係は、すこぶる良好だ。
とてもいい子育てなさっている。
よそを見て沸く「うらやましい」は言い換えれば「いい子育てしてる」だ。
うちは違う。ごくごく普通の子育て家庭です。
私は「食べさせて寝かせる」最低限のライフラインは確保しているものの、
私はキイキイいう。具体的には、自分の価値観を押し付けることが往々にして、
いやしょっちゅう、いや事あるごとにある、普通に了見の狭い母親です。
万に一、うちがちゃんとしていると思っている方がいらしたら、違います。
たぶん、ちゃんとしてないところを語ったら日が暮れる、というより
夜が明けるので言わないだけです。
たぶん、子どもたちもまーまーのストレスと不満を抱えているんだろう。
例えば、私はとてもせっかちな性分で、その時間軸が子どもとよくズレる。
母が言う「これやって」には「ナウ」のニュアンスが入っており、
今やってほしいから声をかけるのだけれど、子どもたちは違う。
「はーい(いつかやる)」だ。
これがよく揉める。そして折り合わない。そして母はひとり、
激おこぷんぷん丸になる。
オットさんからも「海いったほうがいいよ、自然に触れたほうがいいよ、
頭に血がのぼってるよ」と言われる。
ええ、分かってるんです。私が怒ってる様子は、実りのないひとり相撲なんです。
だからたまに思うのは「いい子育てってなんだろう」と。
子育てはそのお宅の価値観も違うし、目指すゴールも違う。
優しい子になってほしい、稼げる大人になってほしい、英語喋れてほしい、
むしろ全部あってくれと思ってるかもしれない。
けれど、数多ある大人計画の中で、自分ですらその要素があるか怪しいのに、
「欲しいところ全て育て!」は難しい。
だからこそ、親の価値観や背中でなんとなくの大人像が形成されていくのかなと。
誰かの真似はできない。自分じゃないような素敵な母にはなれない。
つまるところ、自分が育ってきた環境だけが教科書であり、そこから
ちょっぴり自分のアレンジを入れたものが、おそらく今できるベストな
子育てなのかなと。
子どもたちと居れる時間はひと握り、といいつつも、その握りは毎日
演出できるわけでもない。
我が家は、こんな「なんとかこうとか」な状態で、反省と日常を繰り返す、
ごくごく普通の子育てです。
目下の課題は、激おこぷんぷん丸からの脱却。
5月2日 ニホンコン