蔵出しブータン日記
ここのところ、毎日あっという間に時間が過ぎてしまい、山に行けていません。書いてばかりです。
ということで、ゆっくり書いてきたブータンでの日々をちょこっと紹介です。
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もしも、この時の僕をさらに上空から誰かが見ていたら、餌を求めて口をパクパクさせている金魚のように見えたことだろう。
僕は雲よりも高い場所に立ち、青空を仰いでいた。目を閉じる代わりに、口を大きく開く。ここまで登りきったという達成感や充実感は薄い。誤解のないように言うと、無感動でも、不感症になったわけでもない。感情は揺さぶられているのだ。
ただ、自分の置かれている状況のせいで、普段よりも達成感が薄まっていた。一方で、薄いがゆえに今この瞬間に多くを必要とするものがあった。僕はこの時、切実さを伴って欲していた。正確に言うと、もっと前から求めているものであった。そして、手にすることができないことも分かっていた。
だからといって諦めきれない。できることをやるために口を開けて、精一杯に息を深く吸う。少しでも多く酸素を取り込むために。
力の限り吸ったところで、肺が必要としている量の酸素は流れてこない。もっと、もっと。体の要求に応えようとするが、一向に満たされる気配はなかった。
そう、必要としているのは、酸素だった。
青空に向けていた顔を正面に向け、目の前に持ってきた腕時計に焦点を合わせた。時刻を見てから、標高も確認する。
表示されていた高度は4,500mだった。日本国内では体験できない標高だ。そのため、酸素濃度が平地よりも大幅に低くなり、およそ半分程度しかない。カロリー50%オフなら、食べ過ぎを気にすることなく料理を楽しめるだろうが、酸素50%オフは人体にとって大打撃である。キツい。できることならば増量してほしいが、ここはブータンの奥深い山の中だ。どうしようもない。
一般的にはすでに標高が高いのだが、このレースにおいてはそれほど高地ではない。もっと高いところまで何度も登ることになる。この日だけでも過酷なのに、さらに低酸素な環境に身を置かねばならないのだ。
こんなにも厳しい環境下のレースを走る機会はそうそうない。得がたい体験ができるというのは、なんと嬉しいことか。「幸せの国」でのレースはかつてないほどに過酷で、それがゆえに幸せを感じさせてくれるのであった。