ノスタルジー。

ニホンコン先生との中国語と韓国語の授業。お互いの住む辻堂と代々木上原の間くらい。ということで、いつもは新百合ヶ丘のカフェでレッスンをしています。過去に荻窪に住んでいたニホンコン先生。小学校から高校まで高円寺に通っていた小池で中央線トークになりました。荻窪と高円寺の間。ニホンコン先生が気になっているという阿佐ヶ谷にある中華雑貨のお店「birkahve(ビルカーベ)」さんの話題になり、来月のレッスンは阿佐ヶ谷でやろうということに。阿佐ヶ谷には気になっていた喫茶店もある。10時に駅の改札で待ち合わせて、レッスンand ショートトリップ。

「張り切ってちょっと早めに来てしまった」とLINEが届く。改札で手を振るニホンコン先生の手にはうさぎやの包み紙。「早めに行ったのにもう並んでたよ。花恵さんのおうちにも」大好物のどら焼き、つぶれない強さでギュッと抱きしめる。

まずはニホンコン先生へ韓国語のレッスン。小池がずっと気になっていた喫茶店のgionへ足を運ぶ。現在の営業時間は朝9時から24時まで。(日曜日のみ22時まで)こんな喫茶店が我が街にもあったらいいのにと思うお店。

玉子サラダ、レタスとキャベツのサラダがお皿の半分を占める名物のナポリタンにも心惹かれながら、ランチには早い時間なので今日は飲み物で。ここに来たら必ず頼むと決めていたソーダ水を注文。プラス150円で追加できるアイスクリームももちろんトッピング。「わたしもソーダ水にしようかな。どっちの色にする?」わたしはブルーハワイで。じゃあ、わたしはメロンにする。

インスタやブログで写真はちらちら見ていたけれど、やってきたグラスのサイズにびっくり。横に座っていた三人の女性もそれまでのおしゃべりを止めて、ダブルソーダ水を凝視。「すごいですね!」「すごいですよね」見知らぬ誰かと会話の生まれるクリームソーダ。ビックサイズ。

アイスクリームがソーダ水に溶け出して、クリームになっている部分をちゅっと吸う。ソーダの容積を減らさないと上にのったアイスクリームが今にもおっこちてしまいそう。氷とアイスの接地面がシャリシャリと固まっていく。ロングスプーンの先で、氷についたシャリシャリを慎重に掬うと森永のラムネバーのような味。バニラアイス、ラムネバー、ブルーハワイのソーダ水。3つの味を行ったり来たりする回数も通常の三倍。

「やっとトッケビ を見終わったの。サニーが言う『오라버니(オラボニ)』ってどういう意味?」女の人が自分のお兄さんや年上の男性を呼ぶ時の「오빠(オッパ)」の丁寧語。前より聞こえる単語が増えてきて嬉しい。それは素晴らしいなんていうやりとりをしながら、今日は韓国語の「있다(ある、いる)없다(ない、いない)」を学んでもらう。クリームソーダも懐かしいの代名詞だけれど、サニーの「오라버니(オラボニ)」という一言にも懐かしさが含まれているんだよね。前世の記憶をなくしているサニーは、最初は兄だとわからないけれど心の底にある懐かしさが「오라버니(オラボニ)」と言葉を呼び起こしている。トッケビをご覧になっていらっしゃらない方にはなんのこっちゃの話題ですみません。未視聴の方には、はげしくおすすめをするドラマです。

gionさんのお店の雰囲気も相まって、すっかりノスタルジックな気分になった私たちは韓国語を終えて中華雑貨を扱う「birkahve(ビルカーベ)」さんへぶらぶらとお散歩。中央線沿線の高架下。小さなお店がぎゅっとつまったこの雰囲気も高円寺育ちの琴線を刺激する。イカ天がブームだった中学校1年生の頃。昨日駅の改札で「たま」のちくさんを見たよ。フライングキッズノメンバーも高円寺に住んでるらしい。不確かな情報を交わしながら部活終わりに駅に向かうとどこかで見たことのある後ろ姿。ソバージュの長髪をゆるくひとつに束ねているその人は、さっき話題に出ていたフライングキッズのギター丸山さんじゃないか。そこにいる全員が一瞬時を止めて顔を見合わせ、合図もなく一斉に走り出す。思い出の場面が走馬灯のように走る脳内のBGMはもちろん「風の吹き抜ける場所へ」。教科書のつまった鞄は重かったはずなのに。坂を一気に駆け下りて丸山さんに声をかけ、サインをもらった数分間。中央線沿線に来るとなぜかいつも思い出す。

お目当ての雑貨屋さんに到着。北京に留学経験があり、中国の奥地まで旅を重ねているニホンコン先生は「懐かしい〜この雰囲気」と目を細める。

発色のいいピンク、若草色。手触りのごわっとした化繊のレースカーテンには、独特のかわいさがある。中国本土は上海にしか訪れたことのない私でも懐かしく感じるのはなぜだろう。

虎の刺繍が入った真っ赤な靴下、調味料や塩胡椒を入れるのにぴったりな豆皿。鶏の描かれたメラミン製の茶碗とレンゲ。赤、紫、緑のビニール製のサンダル。「こういうの、もう中国でも探すの難しいですよね。どういう場所で見つけらるんですか?私も昔、中国に留学してたんです。」

ニホンコン先生と店主の方の会話が弾む。「昔、学生時代にバックパックで旅をしてた時の写真を今日たまたま持って来ているんです。」敦煌を旅した時の様子や天安門広場、その中には神戸から上海まで船で渡航した時の写真もあった。「ガンジンゴウ!」先生と店主の方が同時に叫んだ呪文のような言葉。なになに?ガンジンゴウ?

「今は飛行機もだいぶ安くなっているけれど、当時はフェリーが一番安く中国に渡れる手段だったんですよ。神戸港から上海まで。日にちはかかるけれど、船旅もいい時間でした」家に帰ってから、記号のように記憶していたその船のことを調べてみると現在も運行しているようだった。船の名前は「新鑒真号」という名前で、その船は奈良時代の鑒真和上に由来しているという。仏教の戒律を日本に伝えるため、小さな船で10年間にわたり航海を続けた。小さな船での中国から日本への航海は、極めて難しいもので五度の失敗。失明を乗り越えて、六度目の航海で日本にたどり着き、聖武太上天皇をはじめとして、多くの僧侶に戒を授けたという歴史がある。苦難を乗り越えた不屈の精神を踏襲する意味で名付けられたのが、「鑒真号」そして現在運行している「新鑒真号」なのだそうです。(日中国際フェリー株式会社のページ参照)

火曜日に神戸港、大阪港のどちらかを出港。木曜日に上海港に到着。土曜日に上海港を出て、月曜日に神戸港、大阪港のどちらかに到着するスケジュールで毎週フェリーが行き来している。47名収容の和室で片道2万円、往復で3万円。8名収容の二段ベッドの二等室も同じく片道2万円、往復で3万円。4名収容の二段ベッドの洋室一等室は片道2万5000円、往復3万7500円。2名一室の洋室特別室は片道4万円、往復6万円。2名一室の貴賓室は片道10万円、往復15万円。時間を優先するなら飛行機を迷わず選んでしまうけれど、いつか船旅で上海に渡るのもいいな。船は明石海峡大橋、瀬戸大橋、来島海峡大橋、関門海峡大橋を抜けて東シナ海に向かうルートを通っていて、瀬戸大橋では夕陽を、天気のいい夜には満点の星空を見ることができる。こういう船旅が自分の思い出の中にはないから、船に懐かしさを感じる二人の会話がすこし羨ましい。

「あきなっていうんです。おはよう。」お店の看板犬、あきなちゃんが睡眠からお目覚め。うーんと伸びをしてゆっくりこちらに目線をくれます。おっとりしたあきなちゃんとしばし戯れる間も、ニホンコン先生と店主の方のチャイナトークが続く。

「中国も洗練されたおしゃれなものばかりになってしまって、こういうもの探すのが難しくなっちゃってるんですよね。でもまた旅に出て、山のような商品の中から宝探ししたいですよね。」

いま何時かなとiPhoneを取り出すと、画面は数年前の今日を教えてくれる表示になっていた。2016年4月21日、6年前の同じ日、私は上海にいました。

人であふれかえっていた夜景の美しい外灘。
番号を呼ばれるとキッチンの前に麺を取りに行くシステムのお店。番号が聞き取れるか、到着までドキドキしながら待つ阿娘麺。
ふっかふかの肉まんも美味しかったけれど、ネギ油の和え麺に唸ったお店。
浦東国際機場駅まであっという間に運んでくれるリニアモーターカー。

日常を繰り返す日々から飛び出して。懐かしいという感情を頭と心に貯めていける旅の予定でいっぱいになる日々がまたやってきますように。

あきなちゃんのようにゆったりとその日を待ちながら。皆様よい週末をお過ごしくださいませ。


こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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