お菓子づくりと登山道
春の陽気に誘われるせいか、この時期になると、なぜか毎年お菓子づくりをします。うまくいくこともあれば、失敗することもありますが、どちらにしても面白いです。
こんなに手間がかかるんだ。材料費が意外と高い!簡単そうに見えて難しい。あるいは、難しそうなのに簡単。毎回そんな発見があるからです。
自分で試してみないとわからなかったことが勉強になり、面白いのです。その結果、なんでこんなに高いんだろうと思っていたお菓子が、あぁ、材料費が高いんだ。作業工程が多くて大変なんだ。と納得できるようになり、次から財布のひもが緩くなります。
お菓子に限らず、身近にあっても知らないことは意外とあるものです。
登山道もその一つ。山頂へと続く道は、山が昔からずっと存在しているのと同じように、変わらずにあるように錯覚してしまいます。
実際は、崩落したり、倒木や土砂で塞がれたり、人が来なくて自然に還りかけたりと、簡単になくなりかけます。そのたびに、人の手で復旧します。キラキラした木漏れ日を浴びながら、たどる登山道の途中で「自然っていいな」と思わずつぶやいてみたり。でも、歩いてきた登山道は、かなり人の手がはいっているなんてことも。
すべての道はローマに通ずるのかは定かではありませんが、誰かの営為によって整備され、成り立っています。頭では分かっていても、実感を伴って理解するのは難しいもの。お菓子づくり同様、経験してみるのが一番です。
そんなわけでタイミングがあう時は、登山道の整備をお手伝い。先日は九州脊梁山地へ。崩れやすく細くなった区間を整えたり、目印となるテープの付け替えたり。登れば1時間ほどの距離なのに、6人で作業しても半日がかりでした。終わる頃には、すっかり整った登山道に。
道がきれいになると嬉しいものです。そして、どれだけ大変かということを体感しておくことで、いく先々で「こんなに整備されてるなんてありがたや」と感謝できるようになり、遊べることのありがたみが増します。同じ山遊びでも、深く楽しめるわけです。
ボランティア的な活動のように見えますが、実は私欲まみれ。僕自身としては誰かのためにという思いは薄く、勉強というか、自分のためになっています。整備してくれる人が増えると、きれいな道を歩けるようになるなあと思い、つらつらと書いてみました。すべての道の整備は、私欲に通じているのです。
きょうもお疲れ山でした!