今一番気になるあの人のこと。

はじめまして。小池花恵と申します。東京、代々木上原で「旅とごはん」をテーマにしたand recipeという会社をやっています。

気づけば44年の人生の半分を「マネージャー」という職業で過ごしてきてしまいました。こんな風に書くと、この22年間、日にちにすると8030日、時間にすると192,720時間を残念に思っているように見えてしまうかもしれませんが、なんだかんだいってなかなか経験できないことやおもしろい体験ができているのは「マネージャー」という仕事のおかげなんだよな、とこの肩書きで過ごしてきた人生の半分を愛おしくも思っています。

SAKRA.JPのオリジナルメンバーではない、そんなわたしがなぜここで、こうして書かせていただいているのか。いったいなぜ?なぜなのか。

時は、2018年の秋にさかのぼります。

SAKRA.JPのリーダーであり管理人のぐっさんから「小池花恵の好きなもの」というお題でコラムを書いてくださいという指令を受けました。

まず小池花恵って、誰やねん。

「小池花恵の好きなもの」って、自分好きの勘違い人なにおいがぷんぷんしているけれど、大丈夫か。

このお題でコンテンツをはじめてしまっていいのか、おい、小池!(っていう指名手配犯のポスターと駅で目が合う度、思わず「はい!」って返事をしそうになりながらも、ちょっと怖くて実は犯人の顔はよく見たことがない。)

大丈夫かとかしげた首は左肩を通り過ぎて、床まで届き三点倒立。わたしの目から見える世界は、しばらく上下が逆になっていましたが、書きました。「小池花恵の好きなもの」という自意識過剰気味なテーマで。
ほかでもない、ぐっさんからの指令だったから。

あの時の原稿を久しぶりに読んでみたら、2018年秋の小池花恵は大好きな作家の西加奈子さんのことを書いていました。
時間が経っても小っ恥ずかしさは健在。あのまま世に出なくてよかった。
「おい、小池!」な違和感は間違っていなかったようです。

時は流れて、年号は平成から令和に、西暦は2020年になりました。

「こいけはなえの気になるもの」でコラムを書いてください。

また聞き覚えのある声で、天から指令が降ってきました。

1年半の歳月が過ぎ、お題が「好きなもの」から「気になるもの」に変わってはいるものの「一体何者?」な、こいけはなえの気になるものを誰が気にするのか。いまだにその疑問は拭えない。

大丈夫か、大丈夫なのか。おい、小池!おい、山口!

でも、お題が「気になるもの」に変わると俄然気になっていることがあるんですよ。なぜ天の声のあの人は、わたしにコラムを依頼してくれたのか…。

天の声のあの人が「小池さん、これやった方がいいよ。」を言うことは、言われた通りにやった方がいいことは経験上、よくわかっている。

だから書きます。むしろ書かせてください。「こいけはなえの気になるもの」。

そんなわけで第0回のテーマは、今、JUST NOW一番気になるあの人「山口靖雄ことぐっさん」のことを書くことにしました。

えっ?枕が長い。そこのお客さん聞こえてますよ。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

ぐっさんとの最初の出会いはいつだったのか、ノートに書き出していたら軽い衝撃を受けました。気づけばもう15年も経っていた。わたしあの時まだ20代だったよ。
緊張した面持ちで「明るいビル」の扉を開くあの頃の控えめなわたしが、米粒より小さく見えます。2005年当時、港区白金魚藍坂にあったほぼ日の本社。

10年ぶりくらいに元「明るいビル」へ。「明るいビル」という看板がなくなって随分経つけれどやっぱり少し寂しい。元ほぼ日の場所にはSAPIXが入っていました。


ほぼ日に入社した2005年5月10日がぐっさんとの初顔合わせでした。

ほぼ日歴が1年と少し先輩のデザイナーぐっさん。
最初に一緒に仕事をしたのは、T-1グランプリっていうTシャツのコンテストでした。14年ぶりくらいにT-1のページを開くと、明るいビルで働いていた頃にワープします。

「いま屋上で撮影してきたー!」手には真っ白のでっかい旗を持ったぐっさん。

真っ青な空をバックに、赤いT-1ロゴがプリントされた白い大きな旗が悠然とはためく。この旗がドーンと表紙に載ったT-1の企画書。ぐっさんがデザインしてくれたこのかっこいい企画書を持って、錚々たるデザイナーの皆様に参加のお願いをしてまわったこと。これがほぼ日での最初の大きな仕事でした。

岡本太郎さんの「明日の神話」という作品をサポートする目的で作られTARO MONEYという企画。当時ぐっさんが乗っていた日産のラシーンにでっかい岡本太郎シールを貼り付ける手伝いをしたこともあった。

ぐっさんとのほぼ日での仕事を振りかえると、まず自分たちが全力で面白がれること。そのためには何を足したらいいかを、何度も話し合って、実行していた気がします。

いつもお昼ごはんを買いに行っていた、ほぼ日乗組員通称「下P」。魚藍坂の坂の上と下にスーパーのピーコックがあった。中身は同じピーコックなんだけど、気分を変えて、「上P」に行くことも時折あった。「今日、上P行っちゃう?」と乗組員同士誘い合って。

SAKRA.JPのオリジナルメンバーの一人、ムトーツアーズの武藤くんに「ムトゥにとってぐっさんてどんな人?」と聞いたら

「くだらないことの中の楽しいことを見つけて喜んでくれる人」

と言っていました。
わたしもムトゥこと武藤くん案内の元、「小さくてそこそこ新しい旅」(実際はそこそこどころじゃなかった!)を大分で存分に味合わせていただいたことがあるのですが、大分空港でムトゥが迎えてくれた時に持っていたかわいい手旗もぐっさんデザイン。

「ちょっとでも楽しい方が、面白い方がいいじゃん」に全力投球のぐっさんをよく表しているなと思います。そして、マメ。この旗があったほうが面白いと思ったら、作って送ってくれちゃうマメさ。友達たちへの面倒見のよさったらない。

そんなぐっさんが、わたしに最大のサプライズを仕掛けてきたのは2013年の冬の終わりでした。

デスクで仕事をしていると、ぐっさんがポンポンとわたしの肩を叩いて「コーヒー飲みに行こうよ」というんです。ちょうど14時ごろだったと記憶しています。

次の打ち合わせに出発するまで1時間くらいの余裕があったので「行こう行こう。」と深く考えずに、財布ひとつで表参道のLATTESTというコーヒー屋さんに向かいました。

LATTESTも健在。「OMOTESANDO」の「ESA」がなくなっちゃってるけど。

あまりに気軽な、いつもの「コーヒー飲みに行こうよ」とだったので、こちらは全くの無防備。ノープロテクト状態です。ホットのカフェラテを頼み、角っこの席に座りました。ぐっさんは確かアイスコーヒーを頼んでいた。

チューっとコーヒーを飲み、ポンとカップをテーブルに置いたぐっさんは

「あのさ、会社を辞めようと思うんだ」

という予期せぬ豪速球を真正面から投げてきたのです。

同僚から、会社を卒業しようと思うんですという相談を受けたことは、もちろんこれが初めてではありません。でも、そんな「コーヒー飲みに行こうよ」ってカジュアルなお誘いの仕方で、そんな大事なことを言う?

ぐっさんと組んで仕事をすることの多かったわたしは、明らかに動揺していました。でも楽しい、面白いに正直な生き方をしているぐっさんのこと。突発的に辞めようと思ったわけじゃないことも、引き留めてもきっと気持ちが変わらないことは瞬時に理解できました。

「そっかー。次、何をするか決まってるの?」

LATTESTのコーヒーはかわらずおいしかった。

なるべく動揺を悟られないように、会話が途切れないようにするのが精一杯。
どの席に座っていたかも、あの時自分が何を飲んでいたかも、鮮明に覚えているのに、あの後の会話で自分が何を言ったかは、全然思い出せない。わかりやすく、頭が真っ白になっていたんだと思います。

早口で何かを喋っていた自分の姿だけは、幽体離脱してその姿を今も見ているように思い出せます。「あぁ、必死でことばをつないでるわ。この人。」と。

小一時間ほどその場を取り繕うように会話をして、気がつくと次の打ち合わせに向かう時間が迫っていました。

小走りで会社に戻り、PCをカバンに突っ込む。「おつかれさまです」と近くの席の人たちに声をかけ、一緒に打ち合わせに向かうあやちゃんと246沿いのブルックスブラザースの反対側でタクシーに飛び乗って、代官山へ移動しました。

16時のアポちょっと前に到着し、デザイナーさんと次のシーズンのアパレルの打ち合わせが1時間ほどで終了。お互い子供のお迎え時間が迫っているあやちゃんと「じゃあね!」と軽く手をふって別れました。

代官山蔦屋1号間の前で携帯を取り出し、世田谷代田にある保育園までの最短代ルートを調べる。神泉まで歩いて井の頭線に乗り、下北沢で小田急線に乗り換えるのが早そうだ。その日2回目の小走りで、旧山手通りを進みました。

神泉駅に向かって競歩気味に歩く間も、「ぐっさん辞めちゃうのかぁ」ということが頭の大部分を占めている状態。あの仕事もこの仕事も、もうぐっさんとできなくなってしまうんだな。

景色がどんどん通り過ぎてゆきます。デニーズを通過し、ナチュラルローソンの角を右折して少しすると神泉の駅が見えてきました。時計を見ると17時20分すぎ。18時15分、保育園のお迎え最終時間にはなんとか間に合いそう。やっとほっとして、パスモをピッとしようと、カバンからお財布を取り出し…

あれ?財布がない。最後にお財布使ったのいつだっけ。

そこから高速回転で脳内映像を巻き戻し。神泉、代官山、タクシーを降りた時はあやちゃんが払ってくれたんだった。ブルックスブラザース前、会社のデスク。PCをカバンに突っ込んだところまで戻って、はたとまた幽体離脱した自分に戻りました。

あそこだ。

お財布は代替りしましたが、当時財布を忘れた場所と同じ位置に置いてみました。

持ち物は財布ひとつだけだったのに、唯一の持ち物を置いてきてしまうほど、「会社辞めようと思うんだ」というぐっさんの発言に、私は動揺していたのです。

慌ててLATTESTを検索し、電話をかけると「シルバーの長財布ですよね。ありますよー。」とお店のお姉さんが軽快に教えてくれる。「ありがとうございます。明日取りに行きますね」と短く言って、電話を切りました。

ほっとしたのも束の間、時計を見ると17時35分。お迎えの時間が刻一刻と迫っている。

パスモも無ェ。カードも無ェ。現金なんかはあるわけ無ぇ。
おら神泉はいやだ。おらこんな村いやだ。
世田谷代田に出るだー。

おい、歌ってる場合じゃない。
手帳に千円挟んでなかったっけ。カバンにお金落ちてないかな。

半泣きになりながら、とりあえず切符売り場の前の細いスペースにカバンを一旦置く。PC、タオル、手帳、クリアファイルを順番に取り出してピラピラしてみる。お金入ってるわけないか~あぁー!もうすぐ18時15分になっちゃうのに。

絶望しかけたその瞬間、カバンの底を見るとキラキラひかる銀色の玉が5つ。
慌ててカバンに手をつこんでそのキラキラしたものを掴んでみるとそれは、わたしを世田谷代田まで運んでくれる100円玉たちでした。

あぁ、助かった!神様!仏様!神泉だけに!

なんとかことなきを得て子供を迎えに行き、帰宅してごはんを作りながら、ふとわたしを世田谷代田に運んでくれた100円玉のことを思いました。

よく考えるとそれは、動揺しまくる前のわたしがぐっさんにおごったコーヒー代。おごった小一時間後に、ぐっさんの手によって私のカバンに投げ込まれたものだったんです。

一緒に飲みに行ってビールをおごった時、私の着ていたグレーのパーカーのフード部分に小銭が投げ込まれていたこともある。同じ手口だ。きっと、そう。絶対そうに違いない。

財布を忘れてぐっさんの投げ銭に助けられたその日から、2年と少し。わたしもほぼ日を卒業することになりました。

出社最終日、おつかれさまと飲みに誘ってくれたぐっさん。西新井にある「ニブ」という生ハムのおいしいお店で、その日最後にわたしと仕事をしていた、ぐっさんとは入社時期がかぶっていない後輩の男の子と女の子も一緒においでよと、みんなでおつかれさま会をしてくれた。

おいしいレモンサワーをたくさん飲んで、とろけるような生ハムをたくさん食べて、あっという間に終電間際の時間に。
帰り際、わたしが銀色の長財布を出す前にお会計はもう済んでいて、ぐっさんは私に一円も出させる隙を与えてくれなかった。

松戸の駅でメンバーそれぞれ別の電車に乗り換えることになった。「美味しかったし嬉しかったー!ごちそうさまでした」とただお礼を言ってペコリと頭を下げ、私はそのまま千代田線にふらふらと乗り込んでしまったけれど、あの時ぐっさんの紺のトートバックに、諭吉さんを投げ入れたらよかったんだ。

それに気づくのに5年もかかちゃった。

独立して立ち上げた会社のロゴ。「お祝いで」とデザインしてくれたのもぐっさんで。息子を産んだ時も、最初に写真を撮ってくれたのもぐっさんでした。「モギがカボチャをくり抜く60分」という、ほぼ日のハロウィンの毎年恒例のお楽しみ企画。「カボチャをくり抜いた魔女が飛んでいくのを子供を抱っこしながら眺める母」という設定でコンテンツに登場人物させるよ、とわざわざ日赤病院まで来てくれた。

思えば人生の大きな節目に、いつもそばにいてくれる人がぐっさんだ。

あの時、サプライズに続く投げ銭でぐっさんがわたしを助けてくれたように、いつかぐっさんをびっくりさせる投げ銭のような何かを、わたしがプレゼントしないと。

今日は改めて、その決意をする日になりました。
そんなことを思えたのも、ぐっさんが「こいけはなえの気になるもの」という場を与えてくれたからなのだけれど。しばらくは、敵いっこなさそうだな。でも、虎視淡々とぐっさんへの投げ銭を狙っていこう。

毎週こんな感じで「気になるもの(や人やこと)」を更新していきます。
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