最後の投稿
SAKRA.JP今回で最後の投稿です。
お別れはいつだってさみしいです。
nibuユージです!
いつもご覧下さり、ありがとうございました!
11月、12月と想像をはるか~に超えるご予約を頂きました。
さらに…店主の断る事が大嫌いな性格も加わり
いや…厳密に言えば断る事が苦手な、いや…断れない優しい性格だな笑
そんなこんなで、こんな人数をどうやって夫婦二人で回すのか状態の、ありえない日々。
今の所、粗相は無しでギリギリ綱渡り状態で今日までたどり着きました。
『今日が山場だから(妻)』
→これ、12月だけで何回聞いたことか…
『ちょっとドリンク渋滞中だから手を貸して(店主)』
『私もフード渋滞中…(妻)』
→40歳、真冬の大渋滞
『ヤバイよヤバイよ…(店主)』
→どうにもならない時は出川哲朗になる経験もした…
お席の制限時間になればサヨナラがやってくる。
そして次のお客様もやってくる。
席の準備で余裕がなく、きちんとサヨナラ出来ない…
でも、きっと、お帰りのお客様もわかってくれるだろう。
閉店をSNSで告げた直後にご来店下さったお客様にはいつものようにお見送りをし、
その際に別れを惜しんで僕主導の長話になってしまった。
そりゃぁ当たり前だ。
いつだってnibuのお客様は僕らを支えてくれたんだから。
感謝の気持ちは何分あっても伝えきれない。
しかし…結果、店が回らなくなってしまった…
何年たっても僕ららしいなぁ~
夫婦で話し合い僕らなりの不器用な解決方法で、その後はなんとか席は回転している。
ヘルプで人を入れれば解決できるがnibuは僕ら二人で本領発揮の店である。
なにがなんでも二人でやってみせる。
これが恩返しだ。
僕は10年口先だけで仕事をこなしてない。
空間、音、香り、視覚、味、一切の妥協なし。
それなのにコスパが良いそんな店がnibuだから。
人(僕や妻)に魅力を感じて来店してほしくないから、
一見様には、ほぼほぼ塩対応のお店だ。
コストを下げるために接客0円を目指していたから。
でも、気づけば多くのお客様が僕らのファンになってくれて
nibuを支えてくれて…やっぱり僕らは人に恵まれている。
やっぱりnibuは奇跡の塊である。
あんな立地で、すっごい量の酒が出る。
なのにほろ酔いで帰るお客様ばかり、奇跡だと思う。
あんな立地で、閉店告知後何度も聞いた『一番好きな店でした』。
遠方よりお越しのお客様も沢山言ってくれた。
あんな立地で沢山の雑誌にも掲載された。
僕ら夫婦が表紙になった事すらある。
でも、いま、客観的にnibuを見てみると
2011年僕はこの地で素敵な方々に沢山の素晴らしいワインや日本酒を広めたいと思い、nibuをつくった。
2011年自営を継ぐ事に反対する妻のご両親に『雑誌に出て電車でも来てもらえる店にする』って宣言したんだ。
2011年僕はこの地で自分にとって一番好きなお店である『アヒルストア』みたいな店をやるんだと、nibuをつくった。
10年間って時間軸が短いのか長いのかよくわからないが…
上記の3か条は忘れずによく頑張りました!
結果的に遠方からお越し下さるお酒好きなお客様にも満足頂いたと思ってるし、
この地域の酒に対する裾野を広げたとも思ってる。
どんなに頑張ってもアヒルストアみたいな店には程遠かったが、
まさかの12月は連日満席で10年間で一番アヒルストアっぽかったと思うw
いつだったかの12月、満席のアヒルストアで流れていたLOVE SPACE/山下達郎。
あ~最高だったなぁって感動しながら2021年12月満席のnibuでも達郎は流しました(笑)
(達郎はサブスクにはないので忙しい中わざわざyoutubeで流してる、この言わないと伝わらない努力w)
僕や妻に何の魅力があるのかさっぱりわかりませんが僕や妻やnibuを愛してくれた皆さん大好きです!
2021年12月31日をもって
nibu/since2011
松屋酒店/since1953
は幕をおろします。
(会社はひとまず存続)
それでは最後に
僕や妻の事を嫌いになってもnibuの事は嫌いにならないで下さい!!!
また逢いましょう!
お、し、ま、い。
nibu 店主
松屋酒店 店主
有限会社マツミ松屋酒店 代表取締役
松本 祐児
(松屋酒店って屋号この地で68年も続いていたのか、びっくり…)
※おまけ
2011年7月2日のnibu開店時の秘蔵映像でお別れです!
ジンバルや高画質スマホではない時代に…映像提供:大竹さんありがとうございました!
天井が吹き向けていた事やタバコ販売や酒の冷蔵庫の大きさやスケスケの巨大引き戸を知らないお客様もいるのではw