漁師だって船酔いはするし、ペンギンだって山を登る
不思議な光景だった。南極大陸の沿岸部にある小さな島の日常だ。島といっても、海から山が頭を突き出しているような形で、内陸に向かって、小高い丘になっていた。
夏が近いというのに、さすがは極地。斜面は見渡す限り、雪に覆われていた。頂上に向かって歩く黒いシルエットがあった。
体を左右に振りながら足を交互に踏み出す。歩き始めたばかりの幼い子どものよう。島の住民であるペンギンだ。足取りはたどたどしくも愛らしい。
何匹も歩いた跡は登山道のように、うっすらと轍ができている。いよいよ、山登りのように見えてきた。歩幅が小さく、なかなか前に進めない。よちよち歩きを見ていると、ただの丘が大きな山のように思えた。
列をつくって、一目散に登るわけではなく、何匹ものペンギンがちりぢりになっていた。バランスが悪くて、雪に足をとられて転んでしまうやつもいる。腹這いになったまま、ぴくりとも動かない。長い時間、その状態を保ってくつろいでいた。立ち止まると、電池が切れたおもちゃのように静止することも。みんな、自由だ。
昨日、12月14日は「南極の日」。南極のペンギンのような気まぐれさで、3年前に南極へ行った時のことを思い出してみた。南極を舞台にしたランニングレースに出場すべく、アルゼンチンの南端から船に乗って南極に向かう。波に揺られて丸々2日間の船旅になる。風を遮る島影すらないドレーク海峡を行くため、波がとても高い。船が傾いて、窓に海面が迫ってくることもあった。
ベッドの上を転がり続ける
窓に水飛沫がかかる距離まで近づいた後は、一瞬だけ水平状態になって、反対側に倒れ込んでいく。同じ窓の外なのに、今度は空しか見えなかった。
話には聞いていたものの、初日はさほどでもなく、波に慣れてこのまま快適な船旅になるはず。翌日には甘い考えだったと痛感させられる。漁師だって、体調や海の状態で船酔いにもなるのだ。普段は山にしか行かないような輩は、言うまでもないのだ。
もっとも波がひどい区間では、起き上がれないくらいの船酔いになり、波で揺られるたびに、ベッドの上を右にコロコロ、左にコロコロ。無様に転がるよりほかなかった。
南極大陸が近づいてくると、一転して海は静かになる。そして、何事もなかったかのように元気を取り戻すのであった。
南極といっても、僕が行った11月は南半球の夏間近。沿岸部だったため、昭和基地のあるような内陸とは違って気温は高め。せいぜいが氷点下といったところで、思ったよりも快適だった。
大会の話は割愛するとして、レース後のごほうび的な日程で、島に上陸してお散歩。ここで冒頭のように、ペンギンを観察することができた。
ペンギンが丘を登るのは、おそらく帰宅なのだろう。丘の上にコロニーらしき群れができていた。そして、その下の斜面はペンギンゲレンデ。バブルで浮かれていた頃のスキー場のごとく、たくさんのペンギンでにぎわっていた。
一気に駆け上がろうとするペンギンもいれば、転んでもすぐに立ち上がるものも。頑張っているのは家族との再会を心待ちにしているからなのか。はたまた、遠くで腹這いになってダラダラしているのは、家に帰りたくない会社員的な心境なのだろうか。彼らの生活を勝手に想像してしまう。
ペンギンとの距離とリュック
ちなみに、カメラを構えていると、よそものの存在に気づいたペンギンたちが近寄ってくる。怯えることなく、何歩か歩けば触れるほどの距離。好奇心の塊である。
そこまで接近されると、こちらが逃げなくてはならない。南極条約で近づける距離は決められていて、ソーシャルディスタンスよろしく、5m以上離れて距離を保つ必要があるのだ。
このルールを破ると、同じ船に乗っていたスタッフに怒られてしまう。それも、けっこうキツめに。船内で穏やかに南極のことを説明してくれたお姉さんが、眉間にシワを寄せて声を張り上げる。
過去に、スタッフの目をごまかして、ペンギンをリュックに入れて船内に運び込んだという猛者がいたせいで、監視の目が厳しくなっていたに違いない。
飛べない鳥が高いところを目指すという姿やスタッフの豹変に驚かされつつ、ペンギンたちの日常を目にすることができて心を動かされるのであった。
前回でも触れた風邪が長引き、膝のケガもあって、2週間にわたって山に行けないという難局を南極の話で乗り切る力技。近況だけでなく、折に触れて過去の話を書くのも楽しいかもと思ったところで、おつかれ山でした。