人生を変えられてしまうかもしれない本。

えらいこっちゃ。これは、えらいこっちゃ。
なぜ、老師はこのタイミングで、わたしにこの本を渡したんだろう。

木曜日の朝10時。ニホンコン先生との中国のレッスン。先生が1冊の本を机に置きました。

「これを読んでると、どうも花恵さんを思い出して。なんか似てるんだよね。狂気が笑。」

本のタイトルは『台所から北京が見える』。講談社から出版されたこの本の奥付を見ると昭和60年第一版発行、と書かれています。著者は長澤信子さん。1933年東京生まれ。日本女子大学附属高等学校を卒業され、英文タイピストとして、サッポロビールに入社。そこで知り合った猛さんと21歳で結婚。息子さんがお二人。

主婦として家庭を切り盛りする毎日。息子さんたちは、かわいくて仕方がない。仕事で飛び回っている夫。子供たちが巣立ったあと。その時の自分はどうなってしまうんだろう。25歳の長澤さんはそんな不安を、読売新聞の「人生案内」に投稿します。そこで得られた回答の中の一文。「人の手がけぬような外国語を、家事の片手間に少しずつマスターしていくのもプラスになります。」どんな言葉を学ぶのがいいだろう。そこで長澤さんが選択したのは中国語。思い立ったが吉日。わたしなら、すぐに学校を探して飛び込んでしまいそうなところ。「あせらずに、できるだけ遠大な計画を立てよう。」二人の子どもたちが、少し手を離れるまで、長澤さんは時を待ちます。ここから勉強をスタートするまでなんと10年。遠大も遠大。勉強したいという気持ちを、自分なら10年保てるかな。

二人目のお子さんの中学入学と、旦那様の大阪転勤が重なったことを機に。大阪で中国語文学院に2年通います。長澤さんは36歳。「人が一回で覚えるところを十回するつもりなら、なんとかなると思っていた。なにしろ時間はこれから何十年もあるのだから。」中国からの留学生・杜先生に2年間中国語を習い、語学院を卒業。中国語上級者が集う大阪華語学院に移って、週一回の授業に通います。「私は適訳がたくさん浮かびすぎてどの言葉を選ぼうか迷うんです。」長澤さん曰く、神か人かと思うほどの中国語の達人・高建夫先生に「まだ口が硬いです」「作文の答えが一つではいけないように、朗読も単に字を読んではいけない。」と叱咤激励を受けながら、中国語を学び続けます。

台湾のナンバーワン便利家電「電鍋」。朝食になにを食べるか、ブラブラと歩く台湾の街で。赤い電鍋の中で煮卵がぐつぐつしていたり、とうもろこしが蒸されている光景をよく目にしていました。台湾の朝ごはん、恋しいですね。

勉強が面白くなり始めた3年目、「勉強の費用は自分で稼ぎたい」。長澤さんはそう思います。夫の収入はいわば公費。自分の勉強に注ぎ込むわけにいかない。子育ての後の生きがいのために学ぶという自分の目標。自分の稼いだお金で思う存分やりたい。ここでまたすぐ、「パートに飛び込む」以外の選択肢を長澤さんは取ります。まず、どう稼ぐかを考えて紙に書く。

第一、すぐにパートタイムに出るのはやめたい

第二、なるべく職場が自宅の近くに求められること

第三、就職口の多いもの、できれば何か資格を取りたい

家族の助けにもなり、3つの条件を満たすもの。38歳。家庭と中国語のほかにもうひとつ。何かをやるだけの気力は今ならまだある。思えばこの時、中国と日本は国交回復前の時代。近くて遠い国だった中国。たとえ語学を学んでも、中国語で収入を得ることはまだまだ難しかった。長澤さんが選んだのは、准看護師の資格を取るため、学校に通うことでした。准看護師の学校は2年。実習に行く病院で、パート代も出る。

高齢の母に何かあった時にも役に立つかもしれない看護師という資格を選んで、同時にお金を稼ぐ方法も得る。実習に通う病院で、10代の実習生に混ざっていた長澤さん。患者さんから「婦長さん」と呼ばれることもしばしば。「どこにいても私は、いつも場違いな存在だった。

子育てのあとの生きがいのために中国語を学ぶ→学び続けるための学費を自分で稼ぐ→看護学校に通う→資格を取って病院に勤務しながら語学学校に通う。人生相談に投稿した25歳から時を経て、長澤さんが通訳士の国家資格に合格したのは40歳の時でした。

1972年の日本。佐藤内閣から田中内閣へ移行すると、あれよあれよという間に中国との国交が回復しました。1974年にはJALと中国民航の定期便が就航。その第一便「一番機」の要人の通訳として、長澤さんが採用されたのです。

一つの外国語を学ぶことは、もう一つの世界を持つことだということを実感として知ることができた」「人の手がけない外国語だった中国語に明るい光がさすのを見たような気がした

血の通った言葉を実際に彼の国の人と交わす。どれだけの喜びだったことか。その時の長澤さんの気持ちを思うと、胸が熱くなります。そこから1年後。「できることなら語学となにかを結びつけたい。東洋医学と結びつけることができたら最高だ」思いと行動は、縁を手繰り寄せるもの。長澤さんの歩んできた道を追っているとわかります。看護師の研究サークルで、長澤さんは華僑の楊さんと出会い、広州の病院で、針麻酔の見学をさせてもらえることに。しかも2週間の中国滞在。旅費となる30万円は、看護の仕事でコツコツ貯めてきた。1975年の中国。時は文化大革命の真っ最中。初めて憧れの地に降り立った長澤さん。そこで看護師研究サークル訪中団の通訳としても活躍することになります。

その後、二番目のお子さんが大学生になり「母親定年」になった時。言葉には母体としての文化がなければならない。中国語のバックグラウンドが欲しい。と、これまた10代、20代と肩を並べて大学に通うことを選択した長澤さん。家に大学生が3人、という状態。ここで中国語と日本語の教職資格も取得を目指します。ここまでで、本のノンブルが示すのは158ページ。本は280ページまで続くのですが、刺激をされすぎて一度本を閉じました。

一息ついて、しばしあとがきのページを開く。この本を書かれた時の長澤さんの年齢は50歳。新聞に投稿をしてから四半世紀の歴史が1冊に。これから後半を読むつもりなのですが、前半で十分に、もうこれは人生を変えられてしまうかもしれない鈍器本だとブルブルしました。重さという意味の鈍器ではなく。ハンマーでガツンと頭をいかれてしまうくらいの衝撃、ドンキ性がこの本にはあります。語学を学んでいく途上で感じるあれやこれや。学ぶことによって手繰り寄せていく、というか集まってくるあれやこれやが、そこここに散りばめられている。語学学習者が、その旅路で感じる気持ちがなんでも揃う、ドンドンドンドンキ、ドンキホーテのような本。スペインの小説は「ドン・キ・ホーテ」だとずっと思っていたわたくし。表記は「ドン・キホーテ」だったんですね。お店のドンキも正しい記載は「ドン・キホーテ」だということを今知りました。面目ない。旅ができなくなってから、南米を旅してみたくなって、あれこれ映像をあさって想いが募り、中国語の次はスペイン語をと思っているくせに、未読の『ドン・キホーテ』。旅をする前に、言葉を学ぶ前に読まなければならない。

あ、話がだいぶ飛びました。

最近、近所にできた台湾の屋台ご飯が食べられるお店「押競満寿」。これ、なんて読むと思いますか?漢字を日本語に直訳すると「あなたの誕生日に賭けます」となるようなのですが。答えは「おしくらまんじゅう」でした。わかった瞬間、あぁ〜と思わず声に出る。パイナップルケーキ、台湾の香りがしました。

新しい言語を学ぶきっかけは、小さな漠然とした不安だったり、好きな音楽だったり、はたまた仕事だったりするかもしれない。学びたいと思って学び始めるケースもあれば、仕方なく始めたら面白くなっちゃうパターンもきっとある。心にぽとんと落ちた一滴が、波紋のようにどんどん大きな輪になって、自分が思ってもみなかった場所にたどり着いたり、連れていかれたりする。語学にはそんなパワーがある。

ちょうど10年ほど前、韓国語に出会ってからの自分と時折重ねながら。とんでもなく長澤さんには叶わないなと思いながら、時に背中を押されながら。そして気になる言葉をメモしながら『台所から北京が見える』を読んでいます。何かひとつやりたいことを見つけたら、叶えるためには何が足りなくて、次にやることはこれと計画をして。猪突猛進な勢いだけでなく、必要なことと勉強を両立させる。思い描いたことを着実に叶えていかれた長澤さんの人生。ドーンと背中を押されて、代々木上原から釜山ぐらいまで飛ばされた気分です。本を読んでいる間中、自分が学んでいる言語と仕事。そして人生をどうつなげていくか、頭がぐるぐるしてメモが止まらなくなりました。今日の時点で45歳の自分が、この本を書かれた長澤さんの年齢50歳になる頃。ちょうど自分の息子も高校3年生。自分が母親定年になるまでのあと5年。学びたい言語をとことん学びながら、人生の軌道も太く面白くしていけるといいな。

本はこのあと、通訳士としてガイドとして、日本と中国を往復された長澤さんの体験が綴られている。読み進める度、またどんどんと押され続けて、雲南省あたりまで飛んでいってしまうそうです。思い立ったところへ旅ができるようになるまでには、まだもう少し時間がかかりそうですが、彼の地に思いを馳せつつ、「兢兢业业」(jīngjīngyèyè)。私もコツコツ、地道に努力をしていきたいと思います。

どえらい本を貸してくださったニホンコン先生〜。次の授業は、また話すことが長くなりそうです。

台風の動向が心配ですが、皆様どうか安全に。良い週末をお過ごしくださいませ。

こいけはなえの気になるもの。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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