手を叩きたくなるハンバーグ。

ワインとマッシュルームのデミグラスソースのかかったフランス風。ソフトなチーズソースの乗ったオランダ風。コクのあるブラウンソースのかかったロシア風。おろしオニオンの醤油ソースがかかった和風。ピリ辛のトマトソースが乗ったメキシコ風。トマトとチーズソースのかかったイタリア風。いったいどれを選んだら、数十分後のわたしは後悔せずにいられるものだろうか。

都営浅草線本所吾妻橋駅1分のところにある、鉄板焼きハンバーグのお店「モンブラン」。ハンバーグの専門店なのに、モンブラン。モンブランと甘いケーキの名前がついているのに、何を食べるか選択するのは、甘くないお店。

先週末、メッセンジャーがピロンと鳴って。お世話になっているチョコレート屋さんが、墨田区の本所1丁目に「Marked」というグローサリーをオープンするというお知らせが届きました。何というご縁でしょうか。お店の名前「Marked」は英語で「気になるもの」という意味。毎週気になるものを連載しているわたくし。お邪魔しないわけにはいきません。

場所は訪れる機会の少ない浅草の川向こう。グローサリーはもちろんのこと、その周辺のおいしそうなお店もチェックして帰りたい。メインは「気になるもの」と名のついたお店のはずだったのに、飛びついてしまったのはハンバーグのお店モンブランでした。

「Marked」のある本所1丁目から、本所吾妻橋駅までは徒歩10分弱。隅田川と並行して走る首都高を横に眺めながら清澄通りを歩きます。春日通りとぶつかる交差点を少し越えると、精米をする音がシャッシャッとしてきてます。大きく「米」と書かれたのれん。古式精米製法を使ったお米を販売する隅田屋商店さんというお店でした。

1756年、明暦の大火以降に武家町人の宅地として開けた場所。本所には吉良上野介邸もあったのだそうです。東京市三十五区の一つ、本所区は昭和22年、向島区と合併して墨田区となりました。機械や金属などの家内工業が盛んだった街。風の匂いから隅田川を感じながら街を歩いてみると、その名残が随所に見てとれます。

路地に迷い込んでみると揚げ物のいい匂いが漂ってきます。フライ・惣菜と書かれた看板の下で、唐揚げがどんどん揚っていく。これからハンバーグが待っているのに、唐揚げの匂いにお腹がぐーと反応する。

区役所通りを左折、清澄通りに戻ってしばらく行くと、本所吾妻橋の駅が見えてきました。時折、頭を出していたスカイツリーが首都高の左上にどどんと出現し、押上までの距離の近さが分かります。

駅から1分と書いてあった「モンブラン」。本所吾妻橋駅のすぐ横に赤い看板。ハンバーグ、楽しみすぎる!

ディナータイムのオープンは17時。あと、15分ほど時間があります。開店前、ヒッコリーのコックコートを着たシェフがお店の前を慌ただしく行ったり来たりしています。手にはスイートコーン、ホールトマトの大きな缶。仕込みが終わったたくさんの缶を、ゴミ置き場まで運んでいるようです。夜は何食分くらいのソースを仕込むんだろう。あのスイートコーンはポタージュになったのか、はたまたサラダの横に置かれるのか。

ホールを担当する店員さんが、テーブル一つ一つにシュッシュとアルコールを吹きかけていきます。開店はもうすぐのようです。

店頭に並ぶハンバーグのサンプルを眺めながら、何を食べるかおおいに迷う。ハンバーグの専門店なのだけれど、実は洋食なら何でもこい!の、このお店。鉄板焼きのナポリタンも気になるなぁ。エビフライも捨てがたい。

「いらっしゃいませ。どうぞこちらの席に。」

一緒にグローサリーの内覧会に来たand recipeの山田も、何を食べるか悩んでいます。厨房ではシェフが三人、手と足を休むことなく動かしています。ヒッコリーのコックコートと同じ柄のズボンに濃紺のギャルソンエプロン。白いコック帽が厨房で左右に揺れています。水を張ったスイートコーンの缶の中では、サラダ用にちぎられたレタスが、出番のタイミングでパリッとしておいしくなるように、じっと控えているようです。ちょうど私が座った席から、少し高くなった厨房の動きがよく見えるので、何を食べるのか決めるのを忘れて、しばし見入ってしまいました。

「何にするか決まった?オランダ風ハンバーグにしようかなぁ。う〜ん。悩むなぁ」

「心を決めました。私は、ハンバーグシチューにします。あと、ごはんセット」

店員さんに声をかけ、オランダ風ハンバーグとハンバーグシチュー、ごはんセットを2つ注文。あとはハンバーグの到着を待つのみとなったところで、メニューをめくる山田の手が止まりました。

「あ!これ見て!夢のようなお皿じゃない?すみません!」

見てと言われて、私が「なになに?」と答える間もなく。店員さんに声をかける、興奮した山田。その指先をたどった先にあったのは「スペシャルプレート」の文字。ハンバーグの横には、大きなエビフライが2本並んでいます。

「この目玉焼きの下のハンバーグ、オランダ風に変えることもできますよ。」

「うわっ!ぜひ、それでお願いします!注文変更してすみません。」

改めて注文を終え、お冷やをひと口飲んで店内を見渡す。真っ白なコック帽って、いつ頃からかぶり始めたものなんだろうね。

「フランスに、国王のシェフと言われたアントナン・カレームっていう人がいてさ。1800年代に始まったウィーン会議で料理を作っていた人なんだよ。コック帽をかぶり始めたのは、この人が最初と言われている。ナポレオンにも料理を作った人として有名なんだよ。」

味の引き出しだけではなく、食の歴史にまつわる引き出しも頭の中に持っている山田。恐れ入りました。

「はい、おまちどうさまです。」

体感時間では、15分も経っていない。山田が注文したスペシャルプレートがやってきた。

「うわぁ〜!」

「よかったら写真もどうぞ。」

写真を撮ってもいいですか?とこちらが聞く前に、テーブルのすみっこに置いてあるカメラに気がついた店員さんが声をかけてくれる。ありがとうございます。さっと撮ります。

千切りキャベツに支えられた大きなエビフライが2本。凛々しく鎮座している。白い小皿にはたっぷりのタルタルソース。ちょうどいい焼き加減の目玉焼きの下にはチーズソースのかかったハンバーグ。プレートがテーブルの上にコトンと乗った時、思わず手を叩いていました。お皿にきれいに盛られたライスとお椀に入ったお味噌汁。香のものは、キュウリと大根の糠漬けにキュウリの醤油漬け。パシャッパシャっと2回シャッターを切った時、ハンバーグシチューもやってきました。

エビフライに全くピントが合ってない。おいしそう〜!とマックスまであがったテンション。このピントの合っていなさで伝わりますでしょうか…。

「紙エプロン持ってきましょうか?」

テイクアウトや出前の注文がひっきりなしに入る店内。電話の対応もおお忙しなのに、ちゃきちゃきで、スーパーな心遣いの店員さんに感動する。

「鉄板熱いから気をつけてくださいね」

「うわ〜!」

またもや拍手喝采。木のプレートの上に乗った鉄板の中で、グツグツという音が止まらないビーフシチュー。大きなハンバーグに細くかかった生クリームが、ゆっくりと溶けていく。右を固めるいんげんのソテーからはバターのいい香り。左を守るパスタはリングイネ。平打ち麺をデミグラスのシチューにからめて食べる、3分後の口の中を想像して、胸がいっぱいになった。

「いただきま〜す!」

小学生の給食時の挨拶のような大きな声で、シェフの皆さんにもありがとうございますを伝えた後、早速食べ始める。山田からも、唸り声しか聞こえてこない。

フォークとナイフを手に持って、ハンバーグにゆっくり切れ目を入れる。濃い茶色のデミグラスソースの中に溶け出していく肉の油。ちょっとこれ、見てみて。

国産の牛肩ロース肉100%のハンバーグ。パン粉などのつなぎは一切なし。とても小さく丁寧に刻まれた玉ねぎが時々ひょっこり顔を出す。シチューのソースを少なめにハンバーグを頬張ると、しっかり肉の味がする。塩加減も最高。もう一回言っておこう。塩加減も最高。

バターが浸みた、いんげんのソテーを2本。少しソースをからめながら、フォークでぐっと刺して頬張る。目を閉じて噛む。甘い。しみじみと。

インゲンの旨味を噛み締めている間、厨房からはかなり早いスピードでペチペチ、ペチペチとひき肉の塊を左右の掌に移動させ、形を整えている音が聞こえてくる。

「このハンバーグ。コネすぎてないんだよ。だから粗挽きの肉の旨さがぎゅっと詰まったハンバーグになってる。すごいね」

弊社の山田シェフの解説を聞きながら、今度はシチューをたっぷりからめてハンバーグを頬張る。あ、いんげんの横のソースの下から、コーンが出てきた。予想だにしなかったスイートコーン。肉の旨味の後に、プチっと弾けるコーンの甘さ。ライスを多めに頬張って、一緒に噛む。ハンバーグにからめたシチューの中から、ホロホロになったスネ肉も飛び出した。なんという至福の時。

山田が分けてくれたエビフライ。タルタルソースも一緒に一口で頂く。衣はカリッカリ。ライスの上にうっすらと残ったタルタルソースをごはんと一緒に食べるのも、また旨い。

「しっぽのギリギリまで、丁寧に殻をとってあるよ。これ見て。」

衣の奥に、うすいピンクのエビの身がプリッと光っている。一つ一つの細かく丁寧な仕事が、一皿全部のおいしさにつながっている。

エビフライの最後の一口で、残りのタルタルソースを隅々までぬぐい、お皿の上に残ったキャベツの千切りも一緒にお皿の端に寄せ、フォークの上にきれいに乗せてパクリ。山田が食事を終える。フライの衣ひと粒さえも残っていないピカピカのお皿は、おいしかったことを伝える一番のメッセージ。

こちらも鉄板のデミグラスソースを少しだけ残して、ライスにごま塩をふる。

「ごま塩ってさ、夏の味がすると思わない?」

夏休みの昼ごはん。仕事に出かけるお母さんが握っておいてくれた三角形のおにぎりのてっぺんに、ごま塩がかかっていたのか。つめたく冷した南蛮漬けと一緒に、ごま塩のかかったごはんを頬張っていたのか。なぜ夏の味がすると山田が言ったのか、その記憶の先っぽまでは聞き出せなかったけれど、2021年7月の最後にここ、モンブランで食べたハンバーグシチューとごま塩のライスは、今日から私の夏の味になった。

揚げと椎茸にアサツキの浮かんだ味噌汁もごはんによく合う。

「お椀の底から、お豆腐が出てくるよ」

お椀を飲み干そうとした最後の時に現れる、小さなく丁寧に刻まれた豆腐。これでもかというくらいたっぷり量。キュウリのぬか漬けの漬かり具合も抜群。ぜーんぶ、すみずみまでおいしかった。

お腹は、破裂しそうにいっぱい。ごちそうさまでした。

最後のお椀の一滴まで、おいしい驚きで締めくくってくれたモンブラン。今日、食べられなかった鉄板焼きのナポリタンを食べに。夏の間にきっと再訪します。

この土日も、暑い日が続きそうですね。皆様、どうぞ健康に。素敵な週末をお過ごしくださいませ。

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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