冷やし中華はじめました。
6月に入ってから、あることで悩み始めました。撮影の続く日々。隙間をぬって、楽しみを作り出さないと。
自分の機嫌を自分で良くするために。いち早くできることは、おいしいものを食べること。ムシムシした梅雨の合間。30度を超える日が紛れ込んできたら、ここはやっぱり冷やし中華でしょう。
最近購入した『たべもの起源辞典 日本編』。冷やし中華は、日本で始まった食べ物だよね、と思っていましたが。その起源が辞典の624ページに書かれていました。
「ひやしちゅうかそば(冷やし中華蕎麦)」日本で創作された夏場の中華めんの食べ方の一種。冷やし中華ともいう。第二次世界大戦後に東京神田の揚子江菜館2代目が創作したとする説がある。油をからませた蒸しそばを器に盛り、タケノコ・シイタケ・糸寒天・チャーシュー・錦糸卵を乗せる。中国には、四川や上海で好まれる涼拌麺(リャンバンミ)があるが、めんを冷やして食べる習慣はない。涼拌とは、すりゴマの冷たいソースで和えることをいう。
中国語学習初心者。「涼拌」という言葉が気になって辞書を引きました。簡体字「凉拌」、拼音はliángbàn。動詞。意味は、冷たい食品に味をつけて混ぜること。「凉拌面」と面がつくと、冷やしうどんの意味になる。面は、麺じゃないんだ。ということにもちょっと驚きつつ、「面」も続けて辞書で引いてみる。名詞の意味には、顔・メンツ・うどん・麺類とあったんですが、面白かったのは形容詞。「ふわふわで。歯応えが悪い。」という意味が書かれています。麺を意味する「面」がもつ形容詞の意味。現代の麺のイメージとは、ちょっとかけ離れている。小麦で打った麺。元々はふわふわしていたのかな、と遠い歴史の先で麺を食べていた人たちに思いを馳せる。
だいぶ寄り道しましたが、たべもの起源辞典に戻ります。
「ひやしちゅうかそば(冷やし中華蕎麦)」先ほどの続き『料理相談』1929年(昭和4年)によると、「冷蕎麦(冷やしそば)」があり、茹でたシナ蕎麦に、酢・砂糖・氷をまぶす。具材は、叉焼・胡瓜・酢漬けラッキョ・筍をのせる。冷スープ・醤油・酢・胡椒をかけるとある。今日の冷やし中華は、チャーシュー・エビ・きゅうり・トマト・シイタケ・錦糸卵をのせ、スープ・酢・醤油・砂糖・ゴマ油を混ぜた合わせ酢をかける。好みにより、洋がらしを添える。(『たべもの起源辞典』 岡田哲著 ちくま学芸文庫より)
とありました。初期の冷やし中華。具材にラッキョウが入っているのも面白いですね。食感は良さそう。甘酸っぱいから、酢と醤油と砂糖のタレにはあうんだろうな。
小学生の頃、給食の献立の中で憂鬱だったのが冷やし中華でした。高円寺にあった我が母校。全校生徒の集まる当時の給食室にワープして、プラスチックの白いお皿の中を覗いてみると。作ってから少し時間のたった給食の中華麺は黄色い塊になっていて、その上にハム、きゅうり、トマト、錦糸卵がのっています。タレはツンと鼻の奥にくる強めの酢となぜか分量が多めの砂糖の味。すごく酸っぱいのにだいぶ甘いというタレのバランス。箸を通したその先に、塊で持ち上がる麺。残さず食べることに、どうしても時間のかかってしまう献立でした。(黒パンで挟んだコンビーフのサンドウィッチやカレーなど、その日が待ち遠しい献立もありました)ところがどっこい。大人になって大好物に変わったラインナップの中に、冷やし中華は上位でランクインしています。セロリやパクチー、ナンプラーのことを考えていてふと思ったのですが。小さい頃に苦手だった香りの強いものや、味のビビッと強いもの。「食べ慣れるとどんどんおいしくなっていく」という法則が、自分の中にあるようです。冷やし中華の「酢」。ツンとした強い酸味も、まさにこれでした。
その日は撮影が午前中で終わるという香盤が、メールで到着。6月16日(水)を今年の冷やし中華はじめにしようと心に決めました。日本の冷やし中華の元祖、神保町の揚子江菜館にも行かなければいけないと思いつつ。四谷の徒歩徒歩亭の涼麺がずっと気になっていたので。今年は少し変わり種の冷やし中華を、一番乗りにすることにしました。
四谷一丁目で車を停め、おいしいお店の集まったしんみち通りを四谷三丁目方面に歩く。前にシャラドに連れてきてもらったムンバイのカレーも美味しかったなぁ。ひっきりなしにお客さんが出てくるお店が右手に。のれんをのぞいてみると、支那そば屋「こうや」と書かれている。ここのラーメンも、いつか食べなければいけないリストに入っています。
しんみち通りの途切れるところ。住所は四谷三栄町。少し歩いて右折をすると「徒歩徒歩亭」というかわいい文字が見えてきました。
マークになっている鳥は鶯かな、雀かなと思いながら歩いていると涼しげなスタンド看板が目に入ってきました。
梅雨の合間。雨が止んでじっとりと湿度が上がってきたお昼過ぎ。「涼」の文字に期待が高まります。お腹がギュルっと鳴る。今日は、この涼麺を最高においしく食べるために、朝ごはんを我慢していたんだった。
「いらっしゃいませ」
気持ちのいい女性の店員さんの声。店の真ん中に鎮座している大きな円卓では、常連さんと思しき半袖のカッターシャツの男性が二人、ボブの女性が一人、席を一つずつ空けて座り、麺をすすっています。
「撮影終わり、今日は冷やし中華を食べに行きます」と宣言して、このお店に連れてきたand recipeの山田も「おお、うまそう」とわくわくしながら席に座る。
ピカピカの厨房では、忙しく麺が茹でられていて、ズズズと小気味よく麺をすするお客さんの顔は、心なしかゆるんでいるように見えます。やっぱり、おいしいお店に違いない。体力的にくたくたでも、おいしいものレーダーは正常に作動していたようです。
涼麺を食べる、と心に決めてはきたけれど、メニューを前にするとやっぱり心が揺らぐ。皿わんたんは麺と一緒に必ず頼む。えっ、頂上麻婆豆腐ってなに?麻婆が頂をのぼってしまっているよ。蕃茄雲呑麺。うん?トマトって「蕃茄」って書くんだ。読み方は…fán jiā。勉強し始めの中国語。食べ物関連の単語も増やしていかなければならない。
「最近は変わりだねをずっと食べていらっしゃいましたもんね。今日は何にしましょうか。」
「うーん、こないだのとまとそばもおいしかったけど、今日はどうしようかな。」
斜め向うの席から、そんな会話が聞こえてくると、トマトの麺も気になって仕方がない。
「あそこの男性が食べてるの何かな」
「つけ麺じゃない?あれもうまそう」
夏限定!の囲みの下に書かれた醤油の涼つけ麺を食べているお客さんのお皿も気になります。つけ麺もおいしいんだろうなぁ。
「俺はチャーシュー雲呑麺にするわ」
山田はかなり早いタイミングでメニューを決定していました。私は、冷やし中華をここではじめるぞという原点に戻って、やっぱり涼麺だな。そう決めたのに、壁に貼られた「焼売」の文字が目に入ってしまう。
「焼売もおいしそうだね」
「焼売、おいしいんですよ〜。お持ち帰りもできます」
テイクアウトのお客さんのために、レジにいた店員さんが「あれもおいしそう、これもおいしそう」とおいしそうを連発するこちらの声を、全部拾ってくれていました。帰りに焼売を買って帰ると心に決めて、いざ注文。
「皿わんたんを一つ、チャーシュー雲呑麺を一つ、涼麺を一つお願いします。」
「かしこまりました。」
やっぱりどのメニューもおいしそうで、注文したあともメニューを眺めてしまう。他のお客さんが食べているものも気になって、キョロキョロが止まらない。
良く冷えた水をごくりと飲んで、心を落ち着かせる。あぁ、小麦のゆだるいい香りがしてきた。
「お待たせしました。」
肉がぎゅっとつまったわんたんが6個、白いオーバルのお皿にのってやってきた。
「これ何?辛味噌がついてるよ」
たっぷりの白髪葱の上には、水気を含んだおいしそうなパクチーの葉っぱが二つ。ほんのり黄色のわんたんの皮は艶々に光っている。シャッターを1枚切る間、もう待てなかった山田が、小皿に酢・醤油・ラー油を注いでわんたんを頬張っている。
「うんまい!」
いやぁ、絶対においしいでしょう。この豚肉の詰まり方。わんたんの喉越しもいいに決まってる。私は酢と醤油を小皿に注ぎ、箸からつるんと逃げて行きそうなわんたんをしかと掴んで、急いで口に入れました。
「はぁぁぁぁぁ…。」
思わずため息が漏れます。わんたん麺が大好きな人生を歩んで参りましたが、こんな風にお皿にのったわんたんを、おつまみで食べるのは初めて。これは、うまい。しみじみとうまいです。
お皿の横にちょんとついてきた辛味噌も、到着時からずっと気になっています。今度は白髪葱をたっぷり。パクチーものせて、辛味噌と一緒に食べる。ううううう〜ん。これもうまい!
わんたんにだいぶ興奮して、主役の涼麺が霞んでしまいそうですが、心配は無用です。味のビッグウェーブ。涼麺でも大きくやって参りました。
「お待たせしました。チャーシュー雲呑麺です。」
スープとチューシューが器からこぼれ落ちそうなくらいたっぷりと盛られて。山田が注文した雲呑麺がやってきました。
スープを一口飲んだ山田の動きが止まります。
「う〜ん、これは!」
これは何?何?これは、の次はどんな味?
そういえば数分前。私たちのテーブルも担当してくれていた店員さんが、他のお客さんに説明をしている声が聞こえていました。
「うちのスープは豚骨なんです」
豚骨ベース。でも、お店に入った時から、豚骨特有の臭みが一切なかったんだよな。
「すごくきれいな味の豚骨だよ、これ」
小皿にスープをもらって味見。あぁ、臭みがない。醤油の香りもする。このスープに浸りたくなる香り。口の中に残る後味もきれいだ。
「おまちどうさまでした。涼麺です。」
雲呑麺にスープの余韻に浸っていたら、お待ちかねの涼麺がやってきました。
ラーメンはまずスープ、そして麺ですが。冷やし中華は通常、麺からいくんです。でも、徒歩徒歩亭の涼麺は、まずスープを味わってみたくなりました。
予想をくつがえす、ダル(豆)スープのような、茶色に濁ったスープ。レンゲでひと口すくって口に入れた瞬間、シュッと背筋がのびました。
しっかり酸っぱいんです。爽やかな酸味。でも少し甘味のある、まろやかな出汁の味。このスープなんだろう。私の冷やし中華至上、こんなスープの麺を食べたことがありませんでした。
先ほど山田にもらった雲呑麺のスープの残り。もう一度口に含んでみます。次に冷やし中華のスープを、口に注ぐ。
「もしかしたら豚骨スープがベースになってるのかも。はぁ、これはびっくりした。」
歯応えのしっかりしたツルツルの細麺。揚げわんたん、豚しゃぶ、オクラ、カイワレ大根に白髪葱。中央にはもみじおろしがのっていて、どの具材と麺を一緒に食べようか悩むのも楽しい。
もみじおろしと麺を合わせて2回ほど噛む。うん?このおいしい食感は何なんだ。もう一度噛む。きのこのいい香り。おいしいの正体は、ダラララララララダン。たっぷりのもみじおろしに隠れたえのきでした。
冷やし中華にえのき。家で作る時、必ずやろう。
揚げわんたんと麺をからめて食べる。パリパリの食感と油の味が混ざってうまい。オクラやカイワレ、豚しゃぶ。噛むたびに、食感の音階が違う。旨味の多彩な色が、あちこちに飛び出していく。
豚肉のギュッとつまったわんたんを3個平らげていたはずなのに。
ボリュームたっぷりの涼麺は、あっという間に私のお腹の中におさまりました。
ポリポリ、シャキシャキ、いろいろな音階の食の音。豚肉の甘み、酢の爽やかな酸味と揚げわんたんの香ばしい香り。個性的で、他にない味。のだめカンタービレのオーケストラのような冷やし中華は、疲れた身体にとびきりの元気をくれる、楽しく口福な味でした。
「ごちそうさまでした!」
お土産にお店自慢の焼売も購入して、今年の冷やし中華が始まりました。
次は、どこのお店に行こうかな。
雨の土曜日ですが。皆様、楽しい週末をお過ごしくださいませ。