時間が足りません
「全てのボクサーは山を走るべきだ」
ちょっと前にボクサーと山を走ることがあって、その時に出てきたのが冒頭のことばでした。体幹を鍛えるのに、ちょうどいいトレーニングとのこと。いわれてみると、ボクシングに必要な要素が含まれている気がします。
山で地面がデコボコしていると、走りながらバランスを取らなければいけません。そのためには、ぶれない体幹がないといけないわけで、ボクサーの強靭な肉体にも欠かせない部分です。
岩場を飛んで回る時なんかは、細かいステップが必要なうえに瞬間的な判断力も求められます。これも、華麗なフットワークでリングを動き回り、瞬きする間に飛んでくるパンチをかわす動作に似ています。
慣れてしまうと、そんなことを考えずとも走れてしまうのですが、こうして分析してみると、いろんな動作や判断を無意識のうちに処理しているわけです。山を走るってスゴいなあと改めて感心です。
山がボクシングのトレーニングに役立つなら、その逆も真なり。となるのでは?
ボクシングのトレーニングをすると山でタフになったり、速く走れるようになるのかも。検証するにはジムに行ってみなきゃです(検証した方がいらっしゃれば、こっそり教えてください)。
肉体的にどう変化するのかはわかりませんが、精神的に強くなるのは間違いなさそうです。実は最近、総合格闘技を観るのにハマってまして、スゴいんですよ。格闘家のみなさん。
試合の中であるかないかも分からない瞬間を想定して、その瞬間に技を出せるように毎日トレーニングしたり、短期間で10kg近く減量したり。そこまでしたのに、試合時間は数分で終わってしまうなんてことも。あぁ無情。
膨大な時間の積み重ねがあっても、それは表には出てきません。表出して残るのは勝った負けたという結果のみ。流した汗の量とくらべると、ほんの一部にすぎません。
勝敗を決める一瞬をものにできるか、否かで全てを失うかもしれません。なんともシビアな世界。一瞬のために多くのものを捧げるのだから、もはや表現者です。すばらしき身体表現。
ちょっと格闘技の話で脱線しましたが、まあスポーツでも仕事でも成果として見える部分は、その過程に比べたら微々たるものです。そんなことを思うようになったのは、走ることに打ち込んでみたからでした。山で長い距離を走るにも、そのためにコツコツと走り込んだり、周到に準備してこそ。結局は長い行動時間よりも、さらに長い時間をかけなきゃです。
時間をかけるにしても、ほどほどに。第2回目でお伝えした、本州の山々をはしごして縦断するという計画がピンチです。来月から開始なのに、半年かけても、いまだに準備が終わらないという状況です。時間が足りません。まあ、焦っても仕方ないので、コツコツやるしかないのですが(達観)。
そんなわけで準備を続けねばです。今回もおつかれ山でした。