静かになった庭で。

 おはこんばんちわ。飯塚です。

我が家では約二年間、庭で6羽の鶏を飼っていました。

見分けはつかなくとも名前もありました。
Porched, Fried, Boiled, Scrambled, Omlette, Tamago. 
卵もほとんど買わずにいつも庭から。

6羽の鶏がいました。

そう、もう過去形。

今はいないんです。

我が家の鶏話、奇しくも今回が最終回です。

産卵期を終えた鶏問題。

実はこの鶏達、もう卵をあまり産まなくなっていました。

冬の間は卵の数が少ないのはわかっていましたが、春から卵は1羽につき1個、全部で6個産んでくれるはずがここのところ、2個か3個。

おまけに卵の味を覚えた鶏達は卵を食べる。

我が家は卵を家で消費する他にも寿司業をしている夫が使う卵焼きの分、私もケーキを焼いたりするので結構な量の卵が必要。

鶏達がコンスタントに産んでくれていた頃は卵を買うことはなかったけれど、ここ2ヶ月は卵を買うことが増えていたのです。

最近家の近所で150羽の鶏を飼う農家の女性と仲良くなりました。鶏の事を相談すると

「2年?それは歳よ。もう卵を産まないわね。」

「そんなに短いの?」

「茶色の鶏でしょ。あれは掛け合わせだから産卵期は毎日卵産んでくれるけど、大体2年で終わりよ」

「終わったのはどうしてる?」

「前はFota(動物園的な施設)が引き取ってくれたんだけど、今はそれができなくなったのよね。だから屠殺業者に引き渡すしかない。うちも鶏の個体数で卵の数6割切ったら入れ替えてる。6羽いて卵の数3個以下ならもう入れ替え期ね」

そんなに早いサイクルとは…。
勝手に5年くらいいけるものかと思ってたけど。

人間の都合で鶏の寿命が使用期限に変えられている、という事実。
本来なら鶏の寿命は8年から10年と言われている。
また食用に向かない雄は性別判明次第に殺処分されるという。

今、アメリカやヨーロッパで急速に増えているベジタリアンやビーガン、鶏のこうしたサイクルを知ると確かに理解できなくもない。

(このベジタリアン問題、日々思う事は多いけれど、書き始めると長くなるので今回はこれ以上言及しません。)

猟銃で野生のキジやウサギを撃っては捌いた夫でさえ、この鶏達を殺して食べることに全く気が進まない。

鶏を飼うと避けられないキツネ問題。

ペットと言うより卵採取のために飼い始めた鶏達。

しかしながら子供達は鶏に虫や残飯を与えるのを楽しんでいました。

個体の区別はつかなかったし、犬や猫のように一緒に遊んだり触れ合うことはそれほどなくても、子供達にはペットみたいな存在。

初めは鶏に触れられなかった私も鶏の存在が癒しだったことは確か。

我が子や隣りの子達が鶏達に餌をあげて庭遊びをする様子を日々見ている私たちには、さてどうすればいいのだろう、と悩む日々。

先に出た農家の女性、鶏の柵は電気柵。

「電気柵にしないとキツネに食われるのよ。うちもかなり食べられてしまったわ。キツネは夜行性だけど一度来ると昼夜関係ないわね」

鶏を飼う人達の話で必ずといっていいほど出てくるキツネの話。

夫も、鶏を飼った業者さんに聞くと

「鶏が産卵しなくなっても肉が美味くないから殺して食べない。だからってペットとしても飼わない。野生のキツネに食べられるのはある意味ちょうどいいんだよね。」

春が終わり、成長している子ギツネを連れた母キツネ。

ハングリー親子は行動範囲を広げ狩りをする。
彼らが狩るのはたいてい野ウサギやネズミ。

つい最近息子1号も野生のキツネが野ウサギをくわえて道を横切るのを車から目撃したばかり。

私達の生活圏でも確かに自然界の法則は存在している。

その日は突然訪れた。

毎朝、鶏小屋を開け餌を出し、夜は日の入り頃に鶏が小屋にいるのを確認して小屋を閉める。
ある晩、小屋を閉めに行くと小屋の中は1羽足らず5羽しかいない。

また脱走したのか。

鶏はいつも脱走を試みる。

暗がりの中、携帯の明かりで辺りを見回したが、見つからず。

ま、明日出て来るでしょ。
と思いながら、床につく。

翌朝早く鶏小屋を開けに行く夫に、昨晩1羽足らなかったと伝えて私はまた目を閉じるつもりでいたのに。

小屋を開けてきた夫の一言で夢うつつから戻されてしまう。

「キツネに食われたよ」

え!?

暗い中では見えなかったけれど、柵内に羽毛が散乱しているという。

いつもなら小屋を開けると同時に勢いよく飛び出す鶏達。それがこの日の朝はなかなか外には出なかったそう。

その日以来、ストレスからか5日間一羽も卵を産まなくなった。

鶏を飼い始めてからこれまでキツネに見つからなかった我が家の鶏達。

こうなった以上、再度餌を求めてやって来る。

鶏業者さんのシナリオ通り、キツネにこの鶏達を食べさせるべきなんだろうか。

そんな話をため息混じりにする私達。

人間は残酷な生き物だと改めて思い知り、ざらざらした感情で子供達の事も思う。

鶏が1羽居なくなってから息子1号は、うちも電気柵にしよう、などという。

夫はそれに対して、
「もう卵を産まないし、キツネは子供が大きくなってお腹空かしているから仕方ない。鶏を食べる事でこの辺りのウサギは命拾いをするよ。」

子供達は何となく、残りの鶏達もいなくなるのを察し始めた。
3歳児も「鶏がキツネに食べられるのは嫌だ。」
と悲しげにつぶやく。

そしてその日はやはり来た。

キツネは再度現れ、今回は5羽全てを仕留めた。

普段、すばしっこいネズミやウサギを追いかける彼らにとって飛べない鶏達を柵の中で捕まえる事は容易い。

鶏の鳴き声が止んだ朝。

翌朝、無数の羽根が散乱する静かな柵の前で、例えようのない思いで立ち尽くす。

なんて可哀想なことをしたんだろう。

私達、本当に残酷だな。

今まで人間を信じていただろう鶏達を私達は最後の最後に裏切ったようなものだ。

パジャマのままでTVを見ている息子達に
「鶏、全部食べられてしまったよ」
と伝えると2人共、えっ?!と目を見開き、すぐに靴を履いて外に出た。

今までは柵に近づくと必ず寄ってきた鶏の姿はなく、そこには羽根だけが散乱している。

鶏達が消えた柵を前に呆然と立ち尽くす3歳児と6歳児。

柵の隅には鶏の死骸も1羽、転がっている。

静かに佇む6歳児の肩に手をおき、
「大丈夫?」と聞くと、

「うん…。鶏、本当に全部いないの?」
「いないみたいね。キツネは狩りの名人だから。悲しいよね」

「悲しい。あと、ジョニも鶏にミミズを食べさせるのが好きだったからきっと悲しいと思う。」

といつも庭で一緒に遊ぶ隣りのジョニちゃんの事も気にしていた。

「キツネはどこから入ったのかな。鶏小屋にジャンプしてそこから来たのかな。」

鶏達を好きだった子供達は涙を見せるかと覚悟していたけれど、意外にも冷静に受け止めていた。

子供達の反応。

その日は土曜日だった為、その後子供達は普通に朝ごはんを食べ通常通り遊んでいた。

仕事先の夫から電話が入る。
「見たよね?大丈夫?」

朝一で庭の惨状を目にした夫、子供達の事を案じていたのだ。
電話をスピーカーにすると2人は先を争うように
「鶏達がキツネに食べられた!」

と叫ぶ。

特に息子1号は泣いているのではと心配していた夫が
「良かった、意外と平気そうな声だね。帰ったら皆で鶏を庭に埋めてあげような。」
と電話の向こうで言うと、子供達は
「うん、そうしよう!」

とまるで野菜の苗を植えるくらいなノリ。

しばらくすると隣りのジョニちゃんがいつも通り庭に来て息子達とビニールハウスで遊び始めた。

彼らはそのまま鶏柵も見せたようだ。

昼過ぎには義理父が息子2人を迎えにきた。

我が家から車で5分ちょっとのところに住んでいる義理父、ありがたいことに土曜日に子供達が遊びに行くのが恒例になっている。

義理父の姿を見て、息子1号は
「事件が起こったんだ!」
と興奮気味に叫びながら庭へと駆け出す。

それを受けて、鶏の話をしようとする息子2号。

1号は「言っちゃダメだぞ!見せるのが先だ!言うなよ!言うなよ!」と叫び続ける。

えー⁈そんなノリなんか。

興奮している男児達、悲壮感皆無。

ジャンプ混じりに庭へと急ぐ男児達を横目に義理父も、何?何があったの?とソワソワ。

まずい、この流れだと何か良い事だと勘違いするよね。

思わず私は後ろから「It’s a bad news!! 」と言わざるを得ない。

鶏がいない柵を見て義理父は驚いたものの、

「子供達は平気なんだな、もっとショックなのかと思ったけど」

と意外そうに呟きながら庭を後にし。

男児達はいつものようにいそいそと車に乗り込み出かけて行った。

車を見送る私にお隣りさんが垣根から声をかける。

「子供達から聞いたわよ、鶏の事。お気の毒だったわね。でもあの子達の様子は元気そうだから良かったわね。下の子は特に鶏と共に成長したようなものでしょうけど。まだ実感もないからかしら。」

そう、大人の誰もが子供達への心理的な影響を心配していた。

我が家に鶏達がきたのは2年前の5月始め。
2年と1か月、この庭で過ごした。

2年前、待望の鶏さん達が庭に来ました。息子1号大張り切りで水やり中。

私達大人の2年と子供達のそれではあまりにも違いすぎる。
特に3歳児は物心ついた頃から鶏がいた訳で、彼の中では一生みたいなものだろう。

鶏さんが来たばかりの頃。脱走したのか庭に放したのか、当時1歳の息子2号。


また、繊細で動物が大好きな6歳児は特に悲しむだろうと私たちは気にしていた。

しかし、今のところ見た感じはそれほどダメージがないらしい。

自然界の弱肉強食と私たちの消費社会。

我が家では日頃からデビッド•アッテンボローの動物のドキュメンタリーなどよく見ている。

子供達は自然界の狩りのドラマティックな映像が好きだ。

南極近くではシャチがアザラシを、アザラシはペンギンを捕らえたり。
ライオンやチーターがインパラやヌーの狩りをするスリリングさに子供は惹かれる。

私が子供の頃、こういう番組を見ては
「なんで撮影する人達はインパラの子供をチーターから助けてあげないの?」
と両親に聞いた事を覚えているけれど、うちの子達も全く同じ事を聞いたりする。

そして私や夫は自分達もかつて言われたように、

「こうして狩りをして食べないと生きていけないし、チーターの子供達が死んでしまうからだよ」と諭す。

TVの中の厳しい自然界の掟は、我が家の庭でも起こった。

それを子供なりに受け止めているのかもしれない。

鶏さん達が来て間もない頃。産みたて卵は温かい。

鶏を飼って新鮮な卵を食べる。

人も羨む自給自足の生活の楽しさは、永遠に続くどころか、たったの2年で終焉した。

一番のハッピーエンドは鶏6羽、8年寿命を全うしましたとさ。
なんだろうけど。

私達はそれを選ばなかったのだ。

鶏を絞めて食べるのか、
その鶏達を子供達に見せずに屠殺に連れ去るのか、
キツネにお供えするのか、

何を良しとするかは人によって分かれるだろう。

私達夫婦はこういう時に意見が一致する。

綺麗事だけじゃないんだ。
全ての生き物は食べないと生きられない。
血も出るし羽根も散乱するし、死んだら元に戻らない。

そんな悲しく厳しい現実を目にする事も時には必要なのではないか。

そして、人間の都合で世の鶏達は寿命を全うしない現実も知るという事。

私達の暮らしがいかに犠牲の元に成り立っているか、と今更ながら思い知る。

きっとこの朝をこの子達は覚えているだろう。

私が小学校一年生の頃、小学校のウサギ小屋に夜中、犬が穴を掘って潜入し、ウサギは全滅した。
6歳の朝に見た、ウサギ小屋に転がった真っ二つに分かれたウサギの頭と胴体は今でも記憶に残っている。

我が子達も鶏の事は覚えているだろう。
鶏達と遊んだ日々、卵を毎日採った事と共に、この朝の経験をどんな風に消化していくのだろう。

庭で鶏を飼う。
人はポジティブな話しかしない。

卵を産まなくなったから、鶏を殺して食べました、キツネに生き餌として与えました、なんて話はあまり聞きたくないし私もしたくなかった。

でもこれが現実。そんな罪も抱き合わせて経験することが生きることなのかもしれない。

6個産んでくれていた頃。卵を取りに行くのが楽しかった。

鶏達がいなくなってから1週間。
3歳息子2号は、夫とビニールハウスで水やりをした後、「鶏を見に行こう」というらしい。

「もういないんだよ」
と言い含めても行こうという。

3歳児は、もしかしたら鶏が戻っているかもしれない、と思っているようだ。
もちろん柵は静かなままだ。

昨日、ふと息子2号が「I’m sad」といった。
なんで?と聞くと、
「Chickens are gone 」と呟く。
あの日以来、静かになった庭にいると寂しさと何かが足らない感を余計に実感する。

私はもう庭の隅にはほとんど行かなくなってしまった。

ただ、ここで何を書こうが、私達が胸を痛めようが、過酷な運命の元に生きる家畜からしたら恥ずかしいほど薄っぺらい。

今日、私は卵を買う。
3年も生きられない、鶏達が産んだ卵をありがたくいただく。

卵を産んでくれた上に子供達と遊んでくれた鶏さん、2年間どうもありがとう。

西果て便り

(毎週木曜日更新)
世界放浪の後にヨーロッパの西端アイルランドに辿り着く。海辺の村アイリッシュの夫、と3人の子供達(息子二人、娘一人)と暮らしています。