親子日本語奮闘記 1
おはこんばんちわ。飯塚です。
以前から自分への備忘録含めて子供の日本語問題に触れよう、と思っておりました。
ただ、私は言葉のエキスパートではないので、こうすれば子供をバイリンガルに出来まっせ!的な話ではなく。(そんな話があれば教えてください)
日本人が周りにいない環境で、子供達に日本語を身に付けて欲しいと願う一日本人の奮闘記です。
今年は不定期にこのテーマに触れようと思いながらも、もう4月。
ネタが尽きない、というか愚痴も多い最果ての暮らし。
海外に住む日本人ハーフの人達との出会い
一人旅をしていた頃、海外在住日本人ハーフの人達に声を掛けられることがたまにありました。
彼らは私が日本人だとわかると
「私のお父さん(お母さん)が日本人なんだ」
と、笑顔で自らのルーツを話してくれ、お互いの出身地など聞き合ったり。
日本在住ではない彼らでも、私に対して同郷者のような親しみを持ち話しかけてくれたのでした。
ただ、愚かな私の無神経な
「日本語話すの?」
この問いで相手の表情は途端に曇り、せっかく弾んだ会話も楽しい雰囲気も台無しに。
中には流暢に日本語で会話できる人もいましたが、たいていの人は日本語のいくつかのフレーズを「知っているレベル」で、日本語で日常会話できる人は稀なのだ、と私自身この時初めて思い知りました。
我が家の言葉事情
我が家の家族構成はアイリッシュの夫、私、男児2名(6歳と3歳)です。
家の中の共通会話は英語ですが、私から子供達には日本語で話します。
(とはいえ、単語は子供達の理解する英語を混ぜたりするからルー大柴風な母。しかも母の発音は日本語訛りなのでたまに通じない時もある…。)
息子1号は日本語で返答してくれる時もありますが英語がほとんど。
息子2号は私の日本語は全て理解しているとは言い難く、彼自身は英語のみで返します。
子供達同士の会話は英語。
息子1号は生後数ヶ月の頃から寝る前に読書、また普段は日本のアニメもかなり見せていますが、最近は日本語のテレビをあまり観たくはないようです。
会話に関して息子1号を見ていると、彼の脳は私と違い英語と日本語が同時にインプットされているようです。
いちいち頭の中で翻訳機をマニュアル稼働しないと英語を理解出来ないポンコツ母とはまるで様子が違い、彼の頭では英語脳と日本語脳があるようなイメージ。
読み書きは昨年末を以って解約してしまいましたが、月一で届く教育教材を3年ほどやった事もありひらがなは2年前に、カタカナは最近やっとマスターしました。
ただ、継続しないと身につかないのでまだまだ予断を許しません。
覚えるのも早いけれどやらないと本当にすぐ忘れてしまいます。
訳あって苦手な専業主婦業をしています。
私は現在、子供達の日本語向上の為に敢えて仕事をせずに主婦業をしています。
正直言って子供だけと一日中向き合って生活するのはしんどいし孤独。
ただ、今は子供達と過ごして日本語の基礎を固める時期だと敢えて仕事探しもしていません。
何かで読んだのですが、第二言語を身につけるには一日最低でも30%はその言語に触れる必要があると。
もちろん個人差もあるはずですが、私が外で仕事していたら子供達は英語のみの日常を送り日本語は身につかない。
それは避けたかったのです。
それは以前、息子1号が1歳半から2歳半までの約一年間、私自身がアイルランドでフルタイムで勤務した経験からもきています。
勤務時は週5日、朝6時半に家を出て、夕方6時前に帰宅という生活。
職場と家の往復三時間というのも影響し家族と共に過ごす時間など無いに等しく、息子は日本語の会話は出来ませんでした。
結局、約一年の契約はその部署の解散と共に終了。
息子の日本語問題のことがあり、私は専業主婦をすることに。
(意外かもしれませんが、日本人向けの求人はアイルランドでもあるのです)
TVを楽しみながら日本語を覚えました
当時息子1号は2歳半。
幼稚園に入る前の半年間は一緒に過ごし、テレビはほぼ日本のアニメしか見せなかったのはかなり効果がありました。
確か2歳半から3歳の時期は私の日本語はたいてい理解しつつも難しい言葉が入ると???とわからない表情をすることがたまにありました。
私は遠慮せずに日本語で話し続けました。
英語は私の言葉ではない。子供に本気で話しかけるなら自分の言葉の方が通じる筈だと思っていたからです。
3歳を過ぎた頃、彼の頭の中がかなり整理出来たのか、私の会話をわからない、という表情で聞くことがなくなりました。
同時に彼からの返答に日本語が出始めました。
赤ちゃんの頃からインプットされた日本語がアウトプットされ始めたタイミングだったのかもしれません。
テレビで聞いた新しいフレーズや面白い言葉を使いたい、という欲が見え始めました。
私も彼が日本語で話したり新しいフレーズを的確に使うと毎度褒めちぎっていたので、それがモチベーションになっていたのでしょう。
ちょうどその頃、日本人の友人が我が家に寄った際に息子はお土産を頂きました。いつもの「Thank you 」ではなく自然に「ありがとう」と言いました。
あまりに単純な事ではありながらも、瞬時に彼の中で言葉の使い分けができている事に希望を見た気がしました。
24時間日本語という環境の大きさ
またこの時期に日本に1か月帰国した事で彼日本語力の基礎が固められたと実感しています。
子供の吸収力は大人のそれとはまるで違う。
子供の柔らかい脳だと24時間、数日日本語だけで生活するとあっという間にネイティブレベルで言葉をモノにするのです。
日本に住む、という経験が彼の日本語力に大きく影響しているのだ、と感心しました。
コロナによる一番の痛手は日本に帰国出来ないこと。
まだこの経験をしていない3歳の息子2号は、日本語だけの世界を知りません。
日本に帰国したのは彼がまだ7ヶ月の赤児だった時だけで記憶に残っていないでしょう。
彼にとって日本語が必要だという体験がないため、日本語への興味もなく日本語のTVも観たがりません。
息子2号に関しては実は現状茨の道。
この話の続きは次回に。