スーパースター。
コンサートを見るために少なくとも1年に1回は足を運んでいた東京ドーム。東京ドームのイベントカレンダーを見てみると、今年は3月3日に巨人対ヤクルトのオープン戦がスタートするようです。2019年の春からイベントが本当に少なくなってしまったから、どうなっているのだろうとずっと気になっていた場所。水道橋に立ち寄ってみました。
夜20時30分の水道橋駅前。人もまばらでとっても静かです。1988年3月18日にオープンした東京ドーム。できてからもうすぐ33年が経つんですね。初めてドームのコンサートに足を運んだ日。今でもすっとジャンプできます。その日行われたのは、年越しのコンサート。1992年12月31日でした。記憶の中の自分は中学生だったような気がしていたんですけれど。1992から、改めて自分の生まれた年を引くと16。高校生の冬でした。当時にすっとジャンプできると思っていたわりには、自分の記憶はあてにならない。
自分の中にスターといえるは人はたくさんいるけれど、スーパーがつくスターは数少ない。そんな中の一人、マイケル・ジャクソンのコンサートが初めての東京ドーム体験でした。1992年6月27日〜1993年11月11日まで行われた「デンジャラス・ワールド・ツアー」。1992年の12月9日に来日したマイケルは、ドームで8回の公演を行いました。1985年、小学校4年生の時「We are the world」のビデオテープを買ってもらったことが、スーパースターマイケル・ジャクソンを好きになった最初のきっかけでした。当時は、本物のマイケル・ジャクソンを目の前でみることができるなんて、想像もできていなかった(はず)。
スティービー・ワンダーとライオネル・リッチー、ポール・サイモン、ケニーロジャースなどなど。何度も何度もそのテープを見ては、パートごとにアーティストの歌い方を真似しながら、歌詞を覚えました。ブルース・スプリングスティーンからケニー・ロギンスへの流れ。シンディー・ローパーのパートは、今でもすぐ真似できます。クインシー・ジョーンズというプロデューサーの名前を知ったのもこの時でした。小学校4年生が自分のスーパースターだと、はっきりと認識したマイケル・ジャクソン。1984年のグラミー賞では、8部門を受賞。その中でもボーカリストとしてポップ、ロック、ソウルの3部門を制覇したこと。今回調べていく中で知りましたが、マイケルの凄さを改めて実感するエピソードでした。(アルバムのポップ部門受賞曲「スリラー」。シングルロック部門受賞曲「Beat It」。R&B部門受賞曲「Billy Jean」)
コンサートの日に時を戻します。席は3塁側の2階席。上の上の方だったと記憶しています。初めてのドームは、広くて広くて。マイケルが親指と人差し指の間の大きさくらいだった。これは現実なのか、夢なのか。ふわふわした気分で立っていると「Jam」が流れてきました。コンサートで叫ぶ、会場が揺れるという最初の体験はこの時だった。「Thriller」「Billie Jean」インストを挟んで「Will You Be There」「Dangerous」。「Black or White」では、ガンズアンドローゼスのスラッシュが登場。「Black or White」のMVが発表になった時も、何度も何度も繰り返しビデオを見た記憶があります。モーフィングの技術に衝撃をうけて、学校でもマイケルが好きな友人とモーフィングもどきでダンスを真似したりした。「We Are the World」のビデオが流れ、「Heal the World」を歌うマイケルが登場。歌の最後の部分で世界各国の衣装を着た子供たちが出てきて、マイケルと一緒に舞台上にセットされた大きな地球の周りを回る。この記憶はただしかったのかな、とyoutubeで検索をしてみるとありました。当時の映像。間違っていなかった。ライブのラスト17曲目。「Man in the Mirror」が流れ、舞台上のモニターには年越しのカウントダウンが始まりました。5、4、3、2、1「Happy New Year」!スーパースターを目の前にして、ほくほくと興奮冷めやらぬ状態で、「さっきまで、マイケルが目の前にいたなんて信じらんないね。」その日一緒にコンサートを見た友達と2人。父が待っている場所へと急ぎました。階段を下っている時にふと腕時計をみると針は0時を指しています。友人と二人、ドームの階段でしばし見つめ合う。
なぜ、あの日のカウントダウンは少し早い時間に行われたのか。当時私はまだ子供で、その時真偽はわからなかったのですが、東京ドームに行くと必ず思い出すエピソードです。諸説あって、「カウントダウンは大切な人たちと楽屋で静かに過ごしたよ」とマイケルが後に洋楽雑誌で語っていたという話が、自分の中では一番しっくりきています。
あの日のカウントダウンは、5分早かったんだよ。あれから28年経っても語ることができる忘れられないエピソードがある。時間通りのカウントダウンだったら、こんなにも1992年の12月31日のことを覚えていなかったかもしれない。スーパースターのマイケル・ジャクソンと自分の中にあるひとつの大事なつながり。「愛してます!I love you!Heal the World」やっぱり、いつまでも大好きなスーパースターの一人です。