시작이 반이다。(シジャギ パニダ)

久しぶりに毎日ワクワクしています。韓国語の教室に通い出した時の夏も、こんな気持ちだった。

SAKRA.JPに参加したおかげで出会うことのできた火曜日担当のニホンコン先生に中国語を習い始めました。中国文化の背景と言葉を学習する、月2回。1回、1時間半の授業。の予定でしたが、先生の大サービスで授業は3時間になることも。

大陸の地図を片手に1回目の授業が始まりました。中国の国土は日本の26倍あること。56の民族がいて、その90%が漢民族だけれど、教科書通りの北京語が話せる人は全体の2割ほどだと言われていること。中国では「面子(メンツ)」がとても重要なこと。面子の貸し借りがコミニュケーションにおいて大切なキーワードなこと。何かプレゼントをもらった時には、「私があなたをこんなに思っているんですよ」という表現として1.2倍くらいにしてお返しをすること。家を出たら敵ばかりの戦乱を生き抜いてきた長い歴史。だから家族というコミュニティがとても大事なこと。そして、1966年〜1976年ごろまで続いた文化大革命のこと。

へー!ボタンを60回くらい押したくなったチャイナドレスについて。スリットがなぜあんなに深く入っているか。皆さん、ご存知でしたか。体型を美しく見せるシルエットと歩きやすさを合理的に計算したらあのデザインになったんじゃないかと、私は今まで勝手に思ってきたのですが。清の時代。さっと馬に跨がれるようにと、機能的にデザインされた結果があのスリットの深さだった。眼から鱗でした。

今の会社を始めたばかりの頃に、大学院生の中国人の先生に中国語を習っていたことがありました。四声の難しさに割と早めに挫折をしてしまった苦い思い出。日本語学習を専攻している声のきれいな先生で、とても丁寧な授業をしてくださったのに。自分の予習復習も足りていなくて、いつも申し訳ない気持ちがあった。韓国語を習っていた時のガッツを、中国語に向けることができなかった。それが小さい刺のように、頭の一部にずっと刺さっていたんです。

何か機会があれば、また中国語の勉強をスタートしたい。ずーっと継続してその気持ちがあったんだなってことに、ニホンコン先生に出会って気がつきました。ニホンコンは中国語の先生をやっているんだよといっていたSAKRA.JPのリーダーぐっさんの一言が長く気になっていたこと。哈爾濱餃子のことを書いたら、ニホンコン先生と一緒に餃子を食べに行けることになったこと。なんか二人は似ているし、気が合うよといってくれたぐっさんの言葉も背中を押してくれて、中国語をもう一度始めるチャンスがやってきた。韓国語を始めた時も勢いが8割くらいを占めていたけれど、自分の中ではそんなスピード感。

2回目の授業中、はっとしたことがありました。
ニホンコン老師(外国語初級学習者あるある、覚えた単語はやたら使いたくなりがち。老師=先生)が出してくれる問題に、声を出しつつノートにも書いて答える。「今天我的工作很忙。」「一緒に拼音(ピンイン)も必ず書くようにした方がいいよ。その方が発音をしっかり覚えるから」はっ、確かに。以前中国語を習っていた時はただ発音の補助として、拼音を見て次は三声・四声って確認をするだけだった。人差し指をあげたり下げたりして、その漢字が何声なのかをなんとか覚えようとしていたけれど、なかなか頭に残ってはくれなかった。そうだ。拼音は書いて覚えた方が、確実に体に染みつくじゃん。アーーーー!そこから単語や文章をノートに書く時、拼音を必ず書くようになりました。今までのような四声への苦手意識が、なくなるかもしれない。「拼音が少しずつ書けるようになってきた。」なんだか嬉しくて、2回目の授業のノートの一番下に綴りました。

他にも、先生は「老師」エンジニアは「工程師」で「師」がつくのに、お医者さんは「医生」で「師」がつかない、なぜ?秘書は「秘书」。秘書に「书=本」を意味する漢字がつくのはなぜなんだろう、などなど。やればやるほど気になることがたくさん湧いてくる。語学の楽しみってこれ、これ!これだよねー!新しい疑問が湧いてくること自体が楽しくて、面白い。そのわけがわかると、その先ずっと忘れない。他に活用ができる。「あぁ、そういうことか!」が連続すると、もっともっと学習したくなる。ガソリンがどくどく充填されて、また走り続ける感覚。

ちょうどみかん屋ハタノを開催中に2回目の授業があったので、ニホンコン老師にも紅まどんなを進呈。「みかんは桔子、オレンジは橙子っていうんだけれど。桔子は冬に食べるものだから体を温めてくれるもので、橙子は夏に食べるから体を冷やしてくれるものって言われてるの。医食同源の考え方が根底にあるから、面白いよね。」みかんが体を温めてくれるものという考え方も、まさに眼から鱗。「もっと学習したい」が、止まらなくなってきた。どうしよう。

「시작이 반이다」韓国語を始めた時に知った、大好きな言葉です。「シギャギ、パニダ」と読みます。直訳すると「始まりが半分だ」になります。思い立ったが吉日。「物事は始めさえすれば、半分成就したも同様だ」という意味です。自分の支えにしている大切な言葉のひとつ。今回、ニホンコン老師に中国語を習い始めて、面白さを再認識している自分なりに「シギャギ、パニダ」に言葉をつけくわえたいと思います。「다시 시작하는 것이 진짜 반이다.(もう一度始めることが、本当の半分だ)」 。ニホンコン老師、いつもありがとう。2月もよろしくお願いします!

こいけはなえの気になるもの。

(毎週土曜日更新)
マネージメントを中心に料理家と一緒にand recipeという会社をやってます。とにかく旅が好き。

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