育ってきた環境が違うから
ニーハオ、ニホンコンです。
ステイホームみたいに、じーっと家族でずーっと家にいた週末。
今だお悩み中
誰かに何かを伝える、というのはこの上なく幸せな時間なのですが、
伝える相手の国が変わるというのは、かくも難しいのかと。
もう自己紹介でさんざ言ってますが、現在「日本人に中国語を教える」と
「中国人に中日通訳やら日本事情を教える」を同時進行でやっております。
前者は長いことやっているというのと、「自分がかつてそうだった」
から、プロセスや疑問に思うことがよく分かる。
だから一歩半先のヒントを置くこともできるし、その人のヤル気スイッチを
探すのも楽しい。
問題は逆。
中国人に教えるってことの難しさたるや。
「国籍が違うとツボが分からない」とはどのジャンルでも言われます。
料理に例えるなら「ドコが美味しいのか分からない異国のソウルフード」。
お笑いなら「アメリカ人のスタンドアップコメディ、どこが面白いの?」
状態。
言うなれば「左手(利き手と逆)で器用に生活するには」を教えるような
もん。
だから毎週猛省。芸人みたいに「今日スベッたなあー」と反省したり
「あれ、美味しくなかったかなあ・・」とシェフみたいに反省する。
もはやアナタノオシゴトナンデスカ?よ。
毎週末、翌週の授業の準備をしながらブツブツつぶやいている私。
①「材料はここにあるんだよね~」
②「で、どう料理したら」
③「美味しいって思ってもらえるんだろうか・・」
訳すなら
「①教材と内容はあるから、②どう教えたら③面白いと思ってもらえるか」
美味しいと思うツボが中→日視点なので、もはや鏡の向こうから見るような気分。
といっていたら、目の前のオットさんが何やらポエムを
「育ってきた環境が違うから」
「すれ違いはしょうがない」
え?何ですかソレ?
でもなんか聞いたことあるんだけど・・
セロリかよ!
そう、90年代のヒットソング、山崎まさよし「セロリ」です。
「夏がダメだったり」
「セロリが好きだったりするのね」
が歌詞になることに、当時衝撃を受けた記憶が。
「そうだよ、歌でも言ってるじゃん」とオットさん。
でもゴキゲンになり鼻歌まじりで歌いだす
「う~がんばってみるよ」
「やれるだけ~がんばってみてよ」
なんかそんな気がしてきた!(どんな気が)
そうだな老師!頑張れ老師!負けるな老師!
オットさん「最後の歌詞知ってる?」
「すべては」
単純に君のことすきなのさ
それか!
いいの?いいのか?!(ほんとか?)
精一杯ラブレターしたためて「あんたがたこと思ってんからね!」
でやればいいワケ?しらんけど。
でも、そうなんです。
結局、正解ってナイのだ。
だから、目の前の相手にモーレツアタックするしかないのかも。
と、今だ続く画面越しのオンライン授業で、今週も愛をささやいてくるとします。
1月26日 ニホンコン
追記:愛だけはあるけど、レシピめちゃめちゃで美味しくない新妻の料理
みたいにならないようにだけしなくては。