罪悪感を可視化する。
今週、ずっとみかんと対峙しているこいけです。ほぼ日のおやつ展が始まって、渋谷パルコの8階でみかん屋さんをしています。お越しいただいた皆様、連日ありがとうございます!
うん?対峙、という言葉の選択は少し間違っているかな。そう思って辞書を開くと、「向き合って立つこと。対立しているものが、睨み合ったまま、じっと動かない様」と書いてある。「問題と対峙する」という場合には、真剣に向き合うという意味になるから、間違ってはいないか。紅まどんなと睨みあってはいないけれど、じっと動かずみかんを見つめている時間が、1日のうち数分はある。今日はいくつ紅まどんなを発注するか。かなり真剣に、でも短い時間で決断を繰り返しているこの状況は、対峙といっても間違いではないよね。
届いた愛果28号は食べ頃かどうか。「特選」のシールを貼りながら、みかんの手触りと色で確認する。「みかん屋ハタノ」の店頭に品出しをしている時の眼光は、自分には見えていなけれど絶対に鋭いはずだ。あんなにかわいいみかんたちを前にして、険しい顔になっているのはどうかとも思うけれど。お客様に「このみかんは皮が薄く果実がくっついているので、ぜひスマイルカットで召し上がってください」と食べ方の説明をしている時にやっと口角があがって、自分の顔もスマイルしている(はず)。
今週のこいけはなえの大部分を占めているのがみかんになるので、今一番気になるものといえば、正直みかんの話になってしまうのだけれど。紅まどんなについてはSAKRA.JPでも十分にお伝え済みなので、今週はどうしようかなと考えていた。
何かやらなくてはいけないことがあって、でもまだ考えが固まっていなくて、頭の中であれこれ考えている時に、最近よく開く本がありまして。今日もその本を手に取りました。燃え殻さん著『相談の森』。文春オンラインで連載されていた人生相談をまとめたこの本には「人生をなんとか乗りこなす方法61個」が収録されています。このなんとか乗りこなすという言葉をお守りのように感じて、何度となく読んでいるこの本。頭がぐるぐるもやもやっとしている時、本の背表紙を上にしてテーブルに置く。人差し指、中指、薬指、小指は背表紙の上に置いて、親指がすっと入ったページを開く。その日、親指が選んだページの質問と回答は、今まで何度も読んでいるはずなのに、目に止まる言葉が変わっていく。今日ピタッと視線が止まったのは「罪悪感を可視化する」という言葉でした。
「債務整理をしたのに、また買い物をしてしまいます。」という30代の女性からの質問。買い物がストレス発散になっている友人を例に出して、燃え殻さんが回答をされています。「自分が習慣化して惰性でできてしまうこと、快楽のシステムが脳に組み込まれていることを断ち切るにはそれなりに、心の血を流す覚悟が必要だと思います。」(ネコノス刊 『相談の森』より)相談者さんが実家に帰ったとき、お父さんに「何か困ったことはないか」と聞かれて罪悪感に苛まれるという言葉に対して、また困ったことはないか聞かれることがあったら、「本当のことを話してみましょう。今まで言えなかったことを全部、時系列に言ってみましょう。罪悪感を可視化しましょう」と。やらなきゃいけないことはわかっているのに、ぐずぐずと別のことをしてしまう時にも、この言葉はとんでもなく当てはまる。今週の気になるものをどうしようか、ぐずぐず悩んでいた私に、コーンと石が飛んできて、目から星が出ました。コーン、カーンとスイッチが入って、ただいまPCに向かっております。
やらなければいけないけど、後回しにしてしまっている経費精算。書かなきゃいけないのにメモばかり重ねてしまっている商品の原稿。ひとつひとつノートに書き始めました。溜まっている仕事への罪悪感。たっぷりあります。可視化して、ひとつずつ、つぶしていかなければ。
そして今日も渋谷に向かって、いい香りに包まれながらみかんと対峙。発注数を真剣かつ迅速に悩まなければ。(ほぼ日のおやつ展は、1月31日まで開催しております。新しいおやつが日々投入されて、わたしもついつい買ってしまいます。お近くにお立ち寄りの際には、ぜひ遊びにきてくださいませ。スマイル0円で、お待ちしております!)