語学の神様。
今週の「気になるもの」。先週に続き、ニホンコンと堀切菖蒲園におります。
ちょうど正午の哈爾濱餃子。お客さんは、私たちが最初のようです。5席ある店内の左端の席について、一息つきます。日暮里駅で出会って、お店に到着するまで私たちが黙っていた時間。ほとんどなかったんじゃないか。頭上に垂れるメニューを見ながら、何頼もっか?と言った後の数十秒間が、やっと二人とも言葉を発しなかった瞬間なんじゃないかと思うほど、喋りっぱなしでここまで参りました。
「トマト餃子は絶対食べて欲しいでしょう。パクチー大丈夫?」
「パクチー大好き」
「じゃぁ、両方頼もう。」
「セロリサラダおいしいって書いてあったよね。でも前と違うもの頼んだ方がいっか。豚耳とセロリのサラダはどう?」
「いいね、そうしよう。まだ食べられそう?さっきの二つは水餃子だから、焼き餃子も頼もう。すみません、お母さん〜」
注文が決まってニホンコンに中国の餃子屋さんの話を聞いている間に、右端の二つの席が新しいお客さんで埋まった。
「私、留学してるとき北京にいたんだけど、中国の餃子屋さん面白くて。ほうれん草だけとかトマトだけとか 野菜だけの餃子もあるのよ。いろんな野菜の名前がブワーッとメニューに並んでいて、物凄い種類があったんだよね。やっぱり中国は小麦文化なんだなぁって、北京にいると思う」
「そんなにいろいろあるんだね。わたし、大陸は上海しか行ったことなくて。焼き小籠包とか蘇州麺(葱油とタレが絡まったシンプルな麺。抜群においしいのです)とか、とってもおいしものがたくさんあったんだけれど、餃子屋さんを見かけなかったんだよな。リサーチが足りなかったのかな。いつか北京でいろんな種類の並んだ餃子屋さん、入ってみたい。あ、サラダが来たよ」
前回食べたセロリサラダはだいぶさっぱりしていたのだけれど、豚耳セロリサラダはしっかり甘酢いっぱい味がついている。こりこりの食感の豚耳とセロリのシャキシャキっとした歯応えがおいしい。噛むたびに豚の油とセロリの香りが口の中に広がる。
豚耳といえば、檀流クッキングにも「豚の足と耳」というレシピがあった。
『日本人は大変清潔で美しい色どり料理をつくったり、食べたりすることに、妙を得ているが、その潔癖の余り、鳥獣肉の、ひれ肉だとか、ロースだとか、ラムプだとかはよく食べるが、肝腎(形容ではない)のところを棄てたがり、 舌だの、足だの、しっぽだのになると、これを恐れおののく風がある。』(『檀流キッキング』サンケイ新聞社刊より)
確かに日本にいると、棒棒鶏と豚耳酢醤油あえが並んでいたら、どうしても安全パイの棒棒鶏を選んでしまう。今日はニホンコンがいてくれたので、豚耳とセロリのサラダが私たちの目の前にやってきたのだけれど。海外に旅に出ている時は、日本で食べたことのないものをチョイスしようという気持ちになるのに、日本では食べなれたものを選んでしまう。あぁ、だから日本の外に旅に出たくなるんだ。わたしは。まだ現地で未知の食べ物を口にできる日は遠いけれど、こうやって新しい友だちがチョイスしてくれた、新しい食べものを食べられる機会を増やしていこう。そうすれば、自分の中のぽっかり空いた「旅」の箱が、少しずつ満たされていく。
豚耳をかじりながらそんなことを思っていたら、水餃子がどんどんやってきた。「うん、おいしい。やっぱり皮がおいしいんだね。トマトの餃子、なんのスパイスが入ってるんだろう」ニホンコンの口の中に吸い込まれていく餃子たち。よかった。気に入ってくれた、よね?
一皿に5個ずつ入った水餃子のお皿。おしゃべりをしながら、手も忙しく動く。
「はなえさん、どっちがいい?」トマト餃子とパクチー餃子と。仲良くひとつずつ残った水餃子を見て、ニホンコンが聞いてくれる。パクチーはニホンコン、トマトはわたしが頂いて、二つの水餃子のお皿が空になった。ほどなくしてやってきた焼き餃子もあっという間に完食。
「もうちょっといける?気になるメニューがあったら、頼もうよ」
「三鮮水餃子っていうのがちょっと気になるんだけど、頼んでいい?」
「食べよう食べよう!」
海老と帆立とニラの入った、海の出汁たっぷりの水餃子。水餃子の皮からほわりと立ちのぼる小麦の香りがたまらない。これもとってもおいしかった。
お腹も心もいっぱいに満たされたけれど、まだまだ聞きたいことがある。きっと話し足りなくなるだろうと、近くによさそうなカフェや喫茶店がないか調べておいたんだ。「お土産買って、お茶行く?」「そうしよう、そうしよう」
手土産の水餃子を買うのに一旦外に出ると、20代と思しきお兄さんが餃子を買いに来ていた。なんとなく目があって、ははっと互いに微笑む。「よく来られるんですか?」「いや、あそこの工事してて、気になって来てみたんですよ。食べるの、楽しみっす!」「おいしかったですよ〜。楽しんでください!」そういえば、さっき右端に座ったお二人もニッカポッカを履いていた。
「冷凍のトマト水餃子10個ください」ニホンコンがお母さんに話かけている手元には、大量のワンタン。次回は必ず、ワンタン麺を食べるんだ。
「あ、あそこ見てみて!キムチおいしそうじゃない?」カフェに向かう道すがら、ニホンコンが指差す方向を見ると、道路の反対側に韓国食材のお店があるらしい。こないだここに来た時はもう夕方で暗くなっていたから、道路の逆の方向に何があるかを、全く気にしていなかった。明るい時間に一人でまたここに来ていても、気づけなかったかもしれない。こんなにおしゃべりをし続けている間にも、おいしそうなお店を見つけたり、あそこ良さそうじゃないって会話が出てくるのも、海外を友達と旅している感じ。ありがとう、ニホンコン。このお店のキムチ、大当たりだったんです。二人とも、「その日のうちに食べ切ってしまった」と報告をしあうほど。
お目当てのカフェは、哈爾濱餃子から目と鼻の先にありました。ふたりともあったかいカフェラテを頼んで、まだまだ話し続ける。外国語学習者には必ずしてしまう質問。「なんで〇〇語を始めたの?」
「わたし、小学校の時から中国語習ってたのよ。」「!!!」「うちのお母さんが、何かひとつ新しい言葉を覚えておいた方がいいと思ったみたいで、英語はできる人がものすごく多いから中国語。面白かったんだろうね。そのまま続けて。大学は英語を専攻してたんだけれど、やっぱり英語だといくら頑張ってもわたし以上にすごい人たちがいっぱいいる。で、だったらずっとやってきた中国語を磨いた方がいいんじゃないかと思って。北京に留学したのよ」
留学後、ホンコンの会社に就職して5年お仕事をしたニホンコン。その後日本のマスコミ関係で仕事をして、現在は中国語の先生に。
「わたしね、中国語を教える時に決めていることがあって。語学ってさ、言葉を覚えるだけじゃないじゃない。その後ろにある文化まるごと、のみこむことが大事なんだよなって思ってて。それを言葉とセットで伝えたい。例えば、大人数でご飯を食べるとき。日本人のテーブルは、食事が終わると同時にきれいに片付いていることが多いよね。中国人のテーブルは、食べかすが散らかってたり、ゴミも残っていたりするんだけど。おっきな声で話して、その食事の場を全力で楽しむ。テーブルを、その食事の時間をみんなが楽しむ大きなお皿って考えているんだよね。そのことがわかると、散らかったテーブルがまた違って見えてくる。」
うん、確かにそうだ。面白い。
「はなえさんも韓国語やってると、おんなじ気持ちだと思うんだけど。国と国の問題は、簡単になんとかできるものじゃないじゃない。自分一人で変えられるものじゃないことも、よくわかってる。でも、お互いの国の言葉を覚えて、その国の言葉で笑って話をする。案外日本人わるい人じゃなかったよとか、面白かったよって、その人が友達や家族に話してくれたら。草の根運動みたいなものだけれど、お互いの国の印象が変わっていくよね。」
そのことはいつも思う。自分が出会う海外の人たちには、少なくともあんがい悪くなかったよ。楽しかったよって思ってもらえたらいいなと。新しい言語を学習するきっかけって、人によってそれぞれみんな違うと思うけれど、その国のことを理解したいって気持ちは、みんな変わらない部分なのではないか。
「勉強するって、いろんな分野の神様がそれぞれの役割を人に与えてる気がするのよ。私たちには、たまたま語学の神様がついてて。そういう草の根運動を続けていく役割を与えられてる気がするんだよね。」
語学の神様、確かにいると思う。中国は人口は13億人。日本の人口は1億3千万人。母数が10倍も違う国。かたっぽの常識で考えたら、それはあてはまらないことがたくさんある。でも理解したい。新しく発見したい。行きたい時にその国に旅ができなくなってから、よりそのことを考えるようになっていた。
「死ぬまでに、何個新しい言葉を学習できるかわからないけれど、まず隣の国の言葉は覚えていきたいなってずっと思ってるんだよね。韓国語の次は中国語。4年くらい前に、中国語を習い始めたんだけど、だいぶ初期で挫折しちゃったのよ。2021年新たな気持ちで始めたいなと思ってて。ニホンコン先生。わたしに中国語教えていただけないでしょうか?」
「もちろん、来年からやろうやろう!」
何かひとつ新しい言語を獲得するまで努力をした経験がある人とは、言わなくても通じる分量が多い気がしている。うん?言わなくても通じる?私たち、今日ずっと喋りっぱなしだったじゃん。それは、確かに、なんだけれど。喋った以外のおっきい努力の分量が見えるからなのか、違う国の文化をあの手この手で理解したいと思った分量がきっと同じくらいあるからなのか。仲良くなるスピードが早い気がしている。
語学の神様に与えられた役割。まだ知らないどこかの誰かの役に、いつか立てるように。もっともっと努力をしていきたい。その努力は、新しい喜びに満ちた楽しいものだから。
そんなことを改めて考えるきっかけをもらった、ニホンコンとの1日。2020年の最後に届いた贈り物でした。ありがとう、ニホンコン。ありがとう、つなげてくれたぐっさん。
次回皆様にお会いする時は、もう新しい年になりますね。2020年、みなさま本当におつかれさまでした。2021年は、明るい話題がたくさんの1年となりますように。
再見!!!새해 복 많이 받으세요(セヘ ボク マニ パドゥセヨ・新しい年、福をたくさん受け取ってくださいね)!!!