荻窪ラーメン散歩その2
先週に引き続き、荻窪を歩く。
そういえばなんで荻窪にラーメンを食べに行こうと思ったのか、わたしよ。
ちょうど最近、井伏鱒二の『荻窪風土記』を読んでいたことが影響していたのだった。荻窪にはずっと行ってみたかった本屋さんもあって、荻窪、荻窪と思っていたら近場の本屋さんで『荻窪風土記』を見つけた。井伏鱒二を読むのは、中学生以来。『山椒魚』『黒い雨』。母がさりげなく本棚に並べてくれた文学全集(気がつくと新しい作家が増えている)の中にあった『山椒魚』。棲家である岩屋から、頭が大きくなって出られなくなった山椒魚の台詞がちょっと寂しくてちょっと滑稽で、時々大げさにも聞こえて。頭でっかちな山椒魚の姿を想像しながら読んだことをよく覚えている。「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」「ああ神様!あなたはなさけないことをなさいます。たった2年間ほど私がうっかりしていたのに、その罰として、一生涯このあなぐらに私を閉じ込めてしまうとは横暴であります。私は今にも気が狂いそうです」(『山椒魚』新潮社刊より)井伏鱒二を頭に描くときには、いつも悲嘆にくれたこの頭の大きな山椒魚がセットで出てくるようになった。
『荻窪風土記』にも、ここ天沼の教会通りが登場する。昭和2年の夏、早稲田の鶴巻町から荻窪に引っ越してきた井伏鱒二。早稲田の同級生だった青木南八が天沼キリスト教会の神父さんに会いに行くのにつき合ったのが、荻窪に住むきっかけになったそうだ。私が12年通った高円寺にある学校も、創始者はスペイン人のイエズス会のシスターで、信者にはならなかったけれど、思えばキリスト教の影響を強く受けている。「教会通り」という商店街の名前になんとなくひかれるのも、12年も通った学校が影響しているのかもしれない。そういえば、中央線沿線に教会が広まっていったきっかけってどんなものだったんだろう。荻窪と高円寺を「教会」のつながりで考えたことは今まで一度もなかったけれど、今度調べてみよう。
井伏鱒二と青木南八が歩いたかもしれない教会通りを目指して、「迂直」から駅と逆の方向に向かって歩く。静かな住宅街の一角、東京衛生病院付属の教会通りクリニックが見えたところで道を右に曲がる。病院の前は広い道幅の道路。子供たちのかわいい声が聞こえてくる。
少しいくと道の左手にワインのおいしそうなバーがあったり、きれいな三角形のサンドイッチが整然と並ぶパン屋さんがあったり。左右が賑やかな景色に変わってくる。「教会通り」という看板が右斜め上に見えて、電柱が示す住所は天沼三丁目。お目当ての「ねいろ屋」が近いことを教えてくれた。
パン屋さんを越えるとすぐ右手に「ねいろ屋」を発見。愛媛ご出身の店主の方は、元ミュージシャンだという。地元愛媛、瀬戸内の材料を使って作られるラーメン。カツオ節・アジの煮干し・カタクチイワシの煮干し・太刀魚の煮干しに鶏だしを合わせてたスープをぜひ味わってみたかったお店。と、ラーメン通みたいなことを書いていますが…。
正直に白状すると、ラーメンはもちろんのこと食後に食べることのできるオリジナルソースのかき氷がここに来てみたい大きな理由でもあった。季節ごとに、旬のフルーツで仕込むかき氷のシロップ。今日はどんなシロップに会えるのか、ワクワクしながらお店に入る。
ラーメンは醤油も気になっていたけれど、今日は後からやってくるかき氷のことを考えて「瀬戸内レモンラーメン」を選ぶ。お腹もペコペコ。厨房からはイワシの出汁のいい香りが漂ってくる。さてかき氷はどうしよう。このお店に到着するまでは、イチゴのシロップはやっぱり外せないと思っていたけれど、「ブラムリーミルク」という文字に負けてしまった。ブラムリーは、お肉と相性の良い料理用の青りんご。元々イギリスで作られた品種。以前、日テレの「満天レストラン」で渡辺直美ちゃんと宮川大輔さんがブラムリーを生産する農家さんを訪ねていた回があって。ブラムリーという初めて聞く名前と、ジャムがなんともおいしそうで、脳内のおいしいの引き出しにしっかりその名前が残っていた。青リンゴの甘酸っぱさとミルクが混ざるのかぁ。イチゴは次にして、今日は青リンゴソースのかき氷を!と「ブラムリーミルク」を注文した。
店内には女性のお客さんが二人。
白金豚のラーメンを注文しているお客さん。すでにラーメンを食べ終えて、かき氷を食べているお客さん。あぁ、後ろのお客さんはイチゴミルクのかき氷かぁ。やっぱり、イチゴだったかな。
頼んだものがやってくるまで、逡巡を続けるのはいつものこと。次回来たときには何を食べようかというところまで、楽しく考えながらラーメンの到着を待つ。思ったよりも早く、瀬戸内レモンラーメンがやってきた。キレイな塩のスープ。ラーメンの器に鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、レモンの香りがぷんとやってくる。その次に粗く削られた黒胡椒の香り。蓮華をスープに浅く浸して、一口。魚介の出汁が互い違いに、次々とやってくる。柔らかく煮えた鶏胸肉のチャーシューもきれいな味。煮卵を半分ガブリ。100点の半熟具合だ。黄身がトロリと流れてくる。しっかりしたコシのある麺をツルツルすする。鶏の濃厚さも麺に絡んだスープから感じられる。
輪切りになったレモンの酸味が時々口の中をリセットしてくれて、飽きずに最後まで食べ進む。ラーメンはもちろん美味しかったのだけれど、半分にかじった半熟卵の器にスープを多めに含ませてそのままバクっと食べた瞬間が本日のハイライトだった。
今日はずっと慌ただしく歩き回っていたのもあって、ラーメンを食べ終わったあとは汗だく。もう11月も末だというのに、コートがいらないくらいの陽気も手伝って、ここでかき氷を食べることができるのは最高のタイミングだ。
カシャカシャカシャと氷を削る音が厨房からやってくる。店内にいるお客さんは相変わらず全員女性で、全員が「ラーメン+かき氷」を注文しているから、かき氷マシンも忙しい。11月なのにこんなに働くかき氷マシンは日本全国にそうなさそうだ。「お待たせしました」ボーダーのTシャツにキャップをかぶった店員さんが、氷をこぼさないようにそおっとお皿をテーブルにおいてくれる。
青りんごとミルクのソースがトロッとかかったかき氷。ソースの黄緑をみていると、口の中がじわじわと酸っぱくなってくる。この山をどこから崩せば、氷をこぼさずに食べられるのか。右から行くか、左から行くか。お皿をくるくる回して、結果ソースのたっぷりかかった右ななめ45度にティースプーンを入れた。ふぁさ。あ!ファーストスプーンから氷をこぼしてしまった。軽いショックは無視して、ふわふわの氷とトロトロの青りんごソースを口に運ぶ。
キーンと冷たく、甘酸っぱい。今まで上がっていた体温が、徐々に下がっていく。二口目。きび砂糖と卵黄が入っているというミルクソース。氷の中腹に隠れていたソースと氷を混ぜる。またおいしい。山を崩すスプーンが止まらない。最初は少しもこぼさないように、とあんなに気にしていたのに、一度崩れると気にならなくなるもの。受け皿にこぼれた氷が、一瞬にして白い水滴に変わっていく。
山の半分をクリアしたあたりから、体が急激に冷えてきて食べる速度が落ちていく。常温になった水を飲み、口内の温度調節をしながら残り半分を食べ進む。
あぁ、大満足。お腹は、はち切れそう。「ごちそうさまでした!」次回は瀬戸内しょうゆラーメンと女峰いちごミルクのかき氷のセットを注文することを心にきめて、お店を後にした。
教会通りを青梅街道の方に向かって歩く。左右に気になるお店が続く。コロッケ豚汁定食、メンチカツカレー、麻婆茄子定食。わたし、お腹がいっぱいなのに。気になるメニューがところ狭しとぶら下がっている定食屋さん。右手にはコーヒーの焙煎所。空の色がだんだんとかわって、夜になる準備中の商店街はみんないそがしそうだ。
青梅街道沿いを八丁の交差点に向かって、ぱんぱんになったお腹をさすりながらゆっくり歩く。小学校の時、菅平への夏合宿にいくバスの出発点だった杉並公会堂は、すっかりきれいになっていた。班ごとに別れてリュックを背負い、後ろの友達とおしゃべりしながらバスを待っていた公会堂前の広場。コンサートがあったのか、何かの催しに集まった人で賑わっていた。
荻窪に来たかったもう一つの理由。本屋さんの『Title』にむかってどんどん歩く。通学路だった西武バスの長久保行き。「八丁、八丁」というバスのアナウンスは、今でも脳内で再生できるほどよく覚えている。平日6年間、1日2回聞いていた、音声。「天沼、八丁」。
夕方と夜が交代する時間。空には三日月がうっすら顔を出している。腹ごなしにもいいお散歩だ。道沿いのイチョウの木は黄色にかわっていて、アスファルトからは時折銀杏の匂いがする。学校のあった高円寺も、駅のすぐそばにイチョウの木がたくさんあって、みんなでくさいくさいといいながらも、少し気持ちが高揚していたことを銀杏の香りに思い出す。銀杏をいかに踏まずに歩くかがちょっとした通学路のイベントにもなっていた。ランドセルをカタカタいわせながら、銀杏を避けてちょっと飛ぶ。くさいけれど楽しい通学路。
高円寺の銀杏通りを思い出しながら、八丁にむかってまだまだ歩く。道の端っこで、幼稚園年長さんくらいの女の子が、お母さんと右手をつないでぎったんばっこんとシーソーのように体重をみぎひだりに移動させている。チェックのスカートに緑のブレザー、真っ白なハイソックス、短めの三つ編み。お母さんが「お買い物に行こうよ〜」と声をかけても、女の子はお母さんとつないだ右手を引っ張ってぎったんばっこんを続けている。かわいいなぁと思って、女の子の重心が左に傾いた先に目をやると斜め下の目線の先に、たんぽぽの綿毛があった。ふーってしたかったんだね。少し後ろにいるわたしからはかろうじてそれが見えたのだけれど、女の子と左手をつないで前を見ているお母さんからは見えていない景色だ。「お母さん、たんぽぽの綿毛が」なんて野暮なことは言わない。のだけれど、もう少しだけ女の子にぎったんばっこんを続けさせてあげてくださいと小さく祈る。
にこにこしながら青梅街道を下っていくと八丁の交差点が見えてきた。2階にあかりの灯った1軒家。ここかな?天井まで、ずらりと本が並んだガラスの入り口に、かき氷ですっかり下がったはずの体温が上がる。ずっと来たかった本屋さん。わざわざ来たかった本屋さん。『Title』さんに到着。今日はこの後、ゆっくり本を選んで帰るのだ。
ラーメン、かき氷、井伏鱒二と銀杏に、たんぽぽの綿毛と本。いずれまた、荻窪散歩をゆっくりと。